[コラム]ものづくりの視点

vol.68微塵
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
若林信一

 大気圏から西の空を照らしながら燃え尽きてゆく「はやぶさ」の閃光は、気高い意思を秘めた清らかな生命体のようでもあった。日本の科学技術の粋が放ったあの目映(まばゆ)さは二度と忘れることは出来ないだろう。
 地球に帰還した「はやぶさ」のカプセルは、「CR」(clean room=クリーンルーム)に持ち込まれ、約5カ月にもわたり成分分析が行われていた。そして11月16日、JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、「はやぶさ」が持ち帰った微粒子が、小惑星「イトカワ」の欠片(かけら)だと結論付け、太陽系の起源と進化の解明にむけて、更なる解析を続けることを発表した。

 さて、「CR」とは文字どおり、塵埃(じんあい)の無い、クリーンな空気の確保された部屋を指す。「はやぶさ」の分析のみならず、半導体や液晶パネル、医薬品から食品にいたるまで、今や多くの製品がCR内で造られている。
 そこでは、一般的に「クリーンスーツ」という白いツナギ、帽子とマスクを身に纏うが、素材には発塵しない繊維を用い、専用の洗濯機で洗うといった徹底した管理が要求されている。目だけを出した(ゴーグルをする場合もあるが)宇宙人のような姿となった作業員は、入室前に上下、前後左右から「エアーシャワー」を浴びなければならない。体に付着したあらゆる塵を吹き飛ばしてはじめてCRに入ることができるのだ。
 また、CR内ではあらゆる塵埃の発生を防がなくてはならない。とりわけ用具の素材には気を使う。記録用紙は、クリーンペーパー(防塵紙)を用い、鉛筆は発塵するため厳禁、使用できるボールペンもノック式を避けるのが一般的だ。CR内を洗浄する水も蒸発後の残留成分が微塵となるため、超純水やエタノールで拭き取ることが多い。
 その「CR」で、かつて私は、思わぬ微塵に泣かされたことがある。ある電子部品に、異物付着の不良が発生したのだ。
 調査を尽くして判明したのは、作業員の記録用紙に使われていたトナーであった。クリーンペーパーを使っていたにもかかわらず、一般のコピー機で印刷していたことが原因であった。しかし、問題はそれだけではなかった。
 話を聞くと、「実は...」。作業員は、記録をとりながら、しばしばクリーンスーツの袖口が汚れることに気づいていた、問題の発生を薄々「感じてはいた」というではないか。CR内で汚れが発生するということ自体が在ってはならない事なのに、「何か変だ!」と感じつつも原因究明へのフィードバックが働いていなかったことになる。
 かつて日本のモノづくりの現場には、「何か変だ!」を見逃さない、いささかも揺るがぬ職人の眼が注がれていた。そして、それこそが日本のモノづくりの強さの秘密であったように思えるのだ。
 「仏作って魂入れず」...、「CR」という近代的な特別な部屋の前に立ちながら、身体から吹き飛ばすべきものと、吹き飛ばしてはならないものを再認識させられた出来事であった。

 ところで、文部科学省が調べた今年の「最も関心のある話題」は、ノーベル賞をも抑えて「はやぶさ」がトップであった。7年の歳月、往復約60億キロ。設計寿命を超えたエンジン、制御装置の故障や燃料漏れなど、帰還が絶望視されていた小惑星探査機「はやぶさ」の歳月は、関係する技術者たちにとっても長く過酷な旅であったに違いない。そして、小さなカプセルが持ち帰ったのは1,500個の微粒子だけでなかったのだ。あの閃光が、日本の技術者たちに自信と誇りを取り戻し、果敢に挑戦しつづける気概となって広がりゆくことを願わずにいられない。「はやぶさ」の歳月は、微塵も揺るがぬ偉業の記録なのだから。

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【掲載日:2010年11月29日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
1949年長野県生れ 新光電気工業(株)にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。
http://www.tech.or.jp/