[コラム]ものづくりの視点

vol.76「鉄パイプ」のゆくえ
財団法人長野県テクノ財団 事務局長
林 宏行

DTF欧州販路開拓ミッションより②

 何処まで行くのだろう、バスは街から離れ、ハイウエイに入った。実は、今日の企業視察は、相手の都合で急きょ変更になっていた。だから、行き先の会社の概要を知る由もなく、ましてベネチア郊外の、閉じられたシャッターの目立つ工業団地に降り立った時は、ここに暮らす通訳のジェシー(Giuseppina)さえ戸惑いの顔をみせた。
 そして、大柄な男性に案内されたのは、旧いガレージ風の鉄工所だった。奥から鉄と油が匂ってくる小さな事務所を抜けると、薄暗い作業場が現れた。作業員は全員男、かつ無愛想でマイペース。作業台のまわりに鉄パイプなどの部品や工具が雑然と置かれていて、全体が流れ作業になっているのかもわからない。ユニフォームなどなく、手袋もはめていない。工作機械は古くシンプルなものが多く、鉄パイプを曲げたり切り落としたりする時の金属音と研磨機の音がガレージの天井を揺らし、時に溶接の火花だけが青く眩しい。一人ひとりの持ち場には、サッカー選手や女優のブロマイドが張られたりしている。

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 さて、名刺交換した後、大柄なセールスマネージャーのジョズエ(Giosue)氏が次に案内したのが、鉄工所と道を隔てたところに並ぶ建物。最初に「Givas」という会社名が青く書かれたショールームに入る。ジョズエ氏によると、Givas社は、1983年に分社化によって誕生したらしい。親会社は1967年に創業したVassilli社であり、ともに工場を並べている。ここまできて、Givas社が医療・介護用ベッドを、Vassilli社が車椅子を作っている会社だということ、そして、あの鉄パイプが共有の部品であるということが分かった。
 ベットや椅子が並ぶショールームには、統一感のあるデザイン家具も備えられていた。医療用のベッドは、病院からのオーダーをもとに作る。床擦れ防止や寝起きの介助など医師が求める機能に応えなければならないが、使う側にも配慮して、専属のデザイナーを置いているという。大きなドアを向こうには作業場があり、高く積まれた部品棚やダンボールの間で、明るいクリーム色のベッドが組立てられていた。
 続いてVassilli社の工場に入る。車椅子の骨格らしいフレームにカラフルな色が塗られていく。自動制御された機械などなく、ひとりひとりが工具を手に持つ。背もたれのクッションも生地からここで縫い上げる。三人の女性が踏んでいるミシンは昭和時代のブラザー製だった。工程を奥にたどるにつれて、車椅子には、様々な機能が組み込まれていく。なかには、筋萎縮性障がいの人でも操作できる最先端のコントローラーもある...。
 そして此処までやって来ると、誰もが気づき始める...。そう、ここで作られているのは、一つひとつが異なるサイズと色彩を放つ『ひとり一葉』のベッドや車椅子だったのだ。
 「人々の病や障がいは様々。だからこそ、一人ひとりに求められる機能と、心を満たすことのできるデザインでなければならない」と、社長のベルトルッチ(Bertolucci Vassilli)氏は力を込めた。そういえば、職人たちがチェックしていた伝票は、あたかもカルテのようだった。
 「人が人のために、人のペースでモノを作る。ヒューマンマニファクチャリングなんだよね、ここは...。」高島産業(株)のアソシエイトマネージャー栗林かおるさんがそっと呟いた。

 ラストは、車椅子のショールーム。様々な機能の解説を耳にしながらの試乗会となった。その時、我々とは反対のドアを開けて、ひとりの老人が立つのが見えた。家族の椅子を受取りにきたのだろうか、従業員から使い方を聞いている。しばらくして老人は、毛糸の帽子で目頭をそっと押さえ、従業員に握手を求めた。車椅子を静かに両腕で抱えた老人の、前の自動ドアが開くと、隣のガレージから鉄パイプの金属音がすべり込んできて、春まだ浅いベネチアの太陽に、車椅子のピンクの鉄パイプが照らされていた。

110228_01.jpg(DTF研究会欧州販路開拓ミッション6日目。立春のベネチアより)

【掲載日:2011年2月28日】

林 宏行

財団法人長野県テクノ財団 事務局長
1963年下伊那郡喬木村生まれ。長野県商工部振興課、総務部地方課、市町村TL(課長)、下伊那地方事務所地域政策課長などを経て、2010年4月から現職。http://www.tech.or.jp/