[コラム]ものづくりの視点

vol.108長男企業と次男企業
山岸國耿

 先日、以前から親交のあった社長さんと新幹線に同乗しました。この会社は、北信に工場を持ち、大物の金属加工を得意としています。
「山岸さん、昨今は厳しくなりましたね。昔は、仕事があり利幅もありました。しかし今は仕事が少なくあっても利幅がなく、大変な時代です。技術のハードルも高くなって、地域でトップは無論のこと、この分野では、日本でもこの会社・・・と言われるようにならないと仕事がこなくなってきました。」

 以前この会社を何回も訪問し、様々な相談にのってきました。当時を思い出し懐かしく話をいたしました。

 その話の中で「昔は農家の長男を雇うことが多かった。親と同居していて住宅の心配も無く、賃金もそれなりで良かった。今思えば、当時の経営は甘く、のんびりした雰囲気でしたよ。」

 その当時企業を訪問した際よく出た話に、「長男企業」、「次男企業」・・・などとの呼び名がありました。
 長男企業とは、従業員には兼業農家等の長男が多く、のんびりした雰囲気で、賃金もそれなりでよかった。長野県には、このような企業が数多くありました。
 それに対し、次男は、親から離れ、新しく住宅も立てなければならず、勢い仕事に対する姿勢が積極的で賃金も充分出す必要がありました。このような次男の多い企業のことを、次男企業などと言っていました。

 社長は、「今は長男企業ではやっていけませんよ。私ども程度の会社でも、職場は殺気立つほどの雰囲気ですよ。大変な時代となりましたね。」

 最近は長男企業、次男企業などとの呼び名は、聞かれなくなって死語となってしまいました。
 この社長との様々な話の中で、企業にとって大変厳しい時代を迎えていることを、今更のように痛感した次第です。

【掲載日:2012年5月 9日】

山岸國耿


昭和19年上田市生まれ。38年間長野県職員として長野県商工部関係機関に勤務。
長野県工業試験場長を最後に定年退職。その後財団法人長野県テクノ財団に勤務、専務理事を平成22年3月末に退任、平成22年5月に公益財団法人 HIOKI奨学・緑化基金の監事に就任。
平成22年7月に国の地域活性化伝道師に就任。