[コラム]ものづくりの視点

vol.93雨のち晴れて、パリジェンヌ
長野県テクノ財団本部次長
三浦明美

 雨の幕開けとなった「パリ・エアショー2011」(6月20日~26日)。会場のル・ブルジェ空港には、旅客機はもとより戦闘機やヘリコプターが並べられ、市場獲得を狙って過去最大2000社超による白熱した商談合戦が繰り広げられていた。

 なかでも、欧州航空機最大手エアバス社(本社フランス・トゥルーズ)の勢いには目を見張るものがあった。
パリ・エアショーにあわせて、「3」を「❤(ハート)」にみたてたデザインと「LOVE AT FIRST FLIGHT」のメッセージを施して注目を浴びていたA380型が会場内で接触事故を起こしたうえ、A400M型にもエンジントラブルが発生、目玉機材の相次ぐアクシデントによって、航空ショーのハイライトであるデモフライトを中止していた。にもかかわらず、初日だけで、米ボーイングの93億ドルを上回る計144億ドルの受注を獲得したと発表したのである。

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 エアバス・ボーイングなど大手航空機メーカーが次々と商談を獲得する中、NAGANO航空宇宙プロジェクトの「GEN CORPORATION」が製造・販売する世界最小一人乗りヘリコプター「GEN H-4」の商談が成立。Mede in NAGANOが世界に向けて飛び立つ記念すべき日ともなった。

 熱気に煽られ、一息いれようと人混みをかき分け外へ出てみると、雨あがりの空に爆音がとどろく。振り返れば誰もが天を仰いでいた。エアバス社の超大型旅客機A380-800の雄姿だった。
それにしてもフランスの空は変わりやすい、まるでパリジェンヌの気分のようであった。

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エアバス社の超大型旅客機(A380-800)

【掲載日:2011年7月19日】

三浦明美

長野県テクノ財団本部次長
長野県生まれ。JTBインターナショナルバンクバー支店、新光電気工業(株)海外営業部等を経て、長野県テクノ財団事務局次長

vol.92おはよう爺さん
山岸國耿

 先日、 朝 畑で、近所の私より6才年上の先輩とよもやま話をしていました。ちょうどその時間は、中学生の通学時間滞で何人もの中学生が通り過ぎましたが、その先輩は必ず「おはよう!」と声をかけておられました。「おーすごいな」と感心してしまいました。今まで私は、中学生との挨拶は、その様子を見て挨拶をするようであればしますが、そうでなければしませんでした。

 そこで思い起こされましたのが、私が小学生のころ、ある近所のおじいさんが、私ども小学生にも必ず「おはよう!こんにちは!」と声をかけてくださいました。そのことを家に帰って、「あのおじいさんは、私達小さい子供にも必ず挨拶されるよ。」と親に話すと、「あのおじいさんは、村の中で日頃から立派な方なのだ。「みのるほど、こうべの垂れる稲穂かな」ということわざがある。立派な人ほどきちんと挨拶するものなのだ。あのおじいさんを見習って、お前たちもどなたにも必ず挨拶するように。」と言われたことを思いだしました。

 さて、私は若いころ県内の中小企業を巡回訪問し、経営や技術など各種の相談にあずかっていました。その際現場でよく話題となったことに、「若い従業員は挨拶が下手だ、しっかりできない。」などがありました。「朝礼などもしたいが、スムーズにできない。又、今まで作成していなかった簡単な日報などを、新たに記入させたいが円滑にいかない。」など簡単なことだと思っていることでも、新たに習慣づけることの大変さが話題に出ました。

 家には家風があるように、企業にもそれぞれ社風があります。社会の変化や企業の成長に合わせ、良い意味で社内での習慣等のしつけをすることも、必要なことと言えましょう。企業を訪問した時など、隅まで掃除され整理・整頓された企業もありますが、そうでない企業もあります。
 挨拶をきちんとすることが、堅実な社風や企業文化を創り出していく第一歩と言えますし、社会人として社会生活をしていく上でも大切なことと言えましょう。

 あれ以来、中学生と会えば必ず挨拶をすることとしています。更に小学生にも「おはよう!」と声をかけ始めました。すると、全く他のことに気を取られていた小学生が、おやという顔をこちらに向けながら「おはよう!」と返事を返してきます。最近では、「こんにちは!」と、向こうから声をかけてくる小学生も現れてきました。
 学校で挨拶の教育を受けているとはいえ、実に清々しく楽しいことではありませんか。

【掲載日:2011年7月14日】

山岸國耿


昭和19年上田市生まれ。38年間長野県職員として長野県商工部関係機関に勤務。
長野県工業試験場長を最後に定年退職。その後財団法人長野県テクノ財団に勤務、専務理事を平成22年3月末に退任、平成22年5月に公益財団法人 HIOKI奨学・緑化基金の監事に就任。
平成22年7月に国の地域活性化伝道師に就任。

vol.91羊羹(ようかん)とティラノサウルス
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
若林信一

 私が入社した'79年は、オイルショックの直後でどこの会社も逆風にあえいでいた。大手の入社式は、4月21日付けであったし、ひと月以上遅らせる会社も多かった。
 初出勤は、三ヶ月遅れの6月23日。しかも同期入社は私も含めて2人だけという心許(もと)ない状況であったが、そんな中で当時の社長は、ひとつのたとえ話をした。
 「うまい羊羹も、うまいうまいといって、食べてしまえば終わる。利益の出る良い商品であっても、それだけを作っていれば、いずれは同じものが出てきて売れなくなる。大事なことは次なる羊羹を作り出すことのできる職人を自分達の中に持つことだ。」

 新規雇用など出来る状況にない時に、地方の小さな会社が、大学や大学院を出た学生を採用したのも、そういう役割を期待してのことだ、と仰っていたことを覚えている。

 ところで、新しいアイディアやイノベーションをもたらすような発想や考え方はどのように培われてゆくのであろうか。
 ノーベル賞物理学者のリチャード・P・ファインマン(Richard Phillips Feynman, 1918-1988)は、その自伝集「聞かせてよ、ファインマンさん」の中で、いくつかのエピソードを紹介している。
 「この動物は身長25フィート、頭の幅は6フィートもある...、ということはどういうことなのかひとつ考えてみよう...」 まだ小さなファインマンをひざに乗せ、大英百科事典を開いた父親は、更にこう続ける。
 「こいつがうちの庭に立っているとすると、この二階の窓に頭をつっこめるぐらいの背丈があるっていうことだよ。だけど頭の幅が広すぎるから、頭を突っ込もうとしたら窓のガラスが壊れるだろうな...」

 彼の父親は、「ティラノサウルス」という恐竜の名前はともかく、本に書かれていることが、実際にはどういうことなのか、現実に当てはめて、本当はどういう意味なのか、何を言おうとしたのか解釈させることを身につけさせていったというのだ。

 また、こんなこともあった。
 MIT(マサチューセッツ工科大学)に入って二、三年して帰省してきたファインマンに、彼の父はこう尋ねる。
 「原子がひとつの状態から他の状態に移るとき、光子と呼ばれる光の粒子を放出するそうだな、さてその光子だが出てくる前から原子の中にあったのかい?それとも始めはなかったのかい?」
 原子の中に始めから光子があるわけではなく、電子が状態を変えるときに出てくるというのが定説であるが、ファインマンは説明にまごついてしまう。
 しまいに彼は、「今こうしてしゃべっている声があらかじめ僕の中にあったわけじゃないのと同じだよ」と言うわけにもいかないし...、と苦笑しつつ科学を人に分かりやすく説明することの難しさを述べていた。

 さて、去る6月14日、(社)日本経済団体連合会が、「グローバル人材の育成に向けた提言」を公表した。
 背景には、世界的に激化する人材獲得競争と、グローバル化に対応できる人材の育成面で、他のアジア諸国にも後れを取っている日本の現状と、将来的な危機感があるという。
 また、対策のひとつとして、若者に働くことの意義や職業観を身につけてもらうために、企業が、出前授業等を通じて小中学校の授業に直接関わり、子供たちの職業意識を高めていくことも提案されていた。

 "技術は人なり"、"人を大切にする経営を目指す"などといいつつも、日本の企業の多くは、人件費の安い海外へと展開を重ねてきた。加えて、若い技術者を採用しても、目先の対応から直ちに各部門に配属してしまい、全体を知るための研修や技術実習などは、先送りにしてきたように思う。こうした歪が今、表面化しているのではないだろうか。

 うまい羊羹を次々に生み出しつづけることは容易ではない。今の日本は、子どもたちに「ティラノサウルス」を現実の中に思い浮かべさせ、理解し、興味をかきたてることから始めなければならないのかもしれない。

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【掲載日:2011年7月11日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長

1949年長野県生れ 新光電気工業(株)にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。

http://www.tech.or.jp/