[コラム]ものづくりの視点

vol.84信じる力
財団法人長野県テクノ財団 前事務局次長
金田裕和

 「震度6強、巨大津波、原発と続く混乱のなか、安否確認・生活確保から、工場復旧フェーズにようやく移行しました」3月末、テクノ財団に一通の返信メールが届きました。

110418_01.jpg 「NAGANO航空宇宙プロジェクト」のメンバーが福島県の(株)IHI相馬工場を訪ねたのは震災のわずか半月前。専用バスで案内された37.4ヘクタールの敷地には、「戦艦大和」が三隻も入るという巨大な建屋が並び、間仕切りのない工場内には、翼面加工の工作機械が整然と配置されていました。

 三現「現地、現物、現実」、三即「即時、即座、即応」と書かれたポスター、徹底した「見える化」に努めているというラインの間をブルーと黒の若々しいユニフォームを着た技術者たちが行き交う...、活気に満ちたモノづくりの現場に圧倒されました。

 大方が地元採用だという若い技術者たちの笑顔や、ジェットエンジンのみならず「相馬野馬追」と「うつくしま福島」の紹介で締めくくったプレゼンテーションも印象的でした。

 あの日、日本を襲った巨大な津波は、7時間後にはハワイに到達、国境を遥かに越えてアメリカオレゴンの岸辺をも浚いました。

110418_02.jpg 米ボーング社のエンジンも手掛ける(株)IHI本社が、相馬工場の従業員1,567人全員の安否を確認したのは震災の翌朝、深夜には支援部隊が現地入りするという速さだったそうです。

 「夢(カプセル)が持ち帰ったのは"信じる力"」..."はやぶさ"の設計・製造・回収に至るまでの長く厳しいミッションに関わってきた彼らが、「誇り」として紹介してくれたカプセルとその言葉は、忘れることができません。

【掲載日:2011年4月18日】

金田裕和

財団法人長野県テクノ財団 前事務局次長
山形県生まれ。東北大学理学部卒業後、富士電機製造(株)入社。富士電機デバイステクノロジー(株)半導体事業本部生産統括部長、同工場長、松本事業所長を経て長野県テクノ財団事務局次長を歴任。

vol.83「カイゼン」の考案はノーベル賞3個分に相当・・・???
山岸國耿

 しばらくぶりに「カイゼン」のお話をお聞きしました。先日NHKで「洋菓子店」でのカイゼンへの取り組みが放送されました。経営コンサルタントの山田さんが出演され、洋菓子店でのカイゼンの様子や、800人の聴衆を前にした講演風景、そして病院の看護師さん達が、カイゼンに取組み残業を3割も減少させた様子などが放送されました。

 「カイゼン」は、トヨタの大野耐一さんらが体系化した生産方式で、一名「トヨタ生産方式」とも言われています。一つ一つの作業動作を見直して「乾いたぞーきんを更に絞る」というように徹底してムダを排除し、極力在庫を持たない、必要なものを必要な数だけ必要な時間に生産する・・・、など画期的な生産方式と言われています。

 県内においても、数多くの企業に導入され成果を上げています。特に自動車の部品を製造している企業においては、顕著な成果を上げています。例えば、南信地区のある自動車部品メーカでは、大型プレス機の段取り替で、プレス機に装着する大型治具の装着時間を数十%短縮した。同じく南信地区の電機部品工場では、工場の製造ラインの面積を在庫や仕掛品を整理することによって半減させた。北信地区の機械メーカでは、一人の従業員が複数の加工機械を運転し一個づつ製品を流すことによって、大幅なコスト削減につなげた。・・・など数多くの成功事例があります。

 「カイゼン」は、自動車産業をはじめとして製造業全体に広がり、更に行政機関や、金融、サービス業などあらゆる業種に普及してきています。このことは、カタカナで「カイゼン」と言われ海外にも普及し、「Lean Production」、「Supply Chain Management」などと同じように、世界的な言葉となっています。

 しかし、効率を追求するあまり「従業員や下請け企業いじめだ」との指摘もあります。一方、この方式のことをある人は、「ノーベル賞3個分に相当する・・???」との意見もあります。

 この放送では、アナウンサーが番組のまとめで「カイゼンは、その成果もさることながら、従業員全員の意識改革が進み、組織が活性化され一体感が進むことに大きな意義がある。」との趣旨の発言があり、私も同じ思いをいたしました。

【掲載日:2011年4月15日】

山岸國耿


昭和19年上田市生まれ。38年間長野県職員として長野県商工部関係機関に勤務。長野県工業試験場長を最後に定年退職。その後財団法人長野県テクノ財団に勤務、専務理事を平成22年3月末に退任、平成22年7月に国の地域活性化伝道師に就任。

vol.82光陰如矢(こういんやのごとし)
財団法人長野県テクノ財団 事務局長
林 宏行

 2月10日、フランス・ブザンソンにおける最後のプレゼンテーションが始まった。初日とは異なり、会場となった医療部品メーカー「Crystal Device社」の一室は、和らいだ雰囲気に包まれていた。
 スクリーンに映し出されていたのは、フランスに農場を持ち、ヨーロッパ各地のワインも輸入販売する野村ユニソン㈱の「もうひとつのモノづくり」だった。
 生産革新課長の野村高城(のむらたかき)さんは、精密素材からロボット、医療関連まで幅広く手掛ける同社の事業を紹介した後で、フランスの自然の恵みに敬意をはらうように柔らかな物腰で語りかけていた。
 親善友好を兼ねた国際交流事業とはいえ、技術や製品を一途(いちず)に紹介したのでは、迎える側も容易には受け入れてくれない。互いの風(風土・風習・風味)を感じ、尊び合うことが何よりも大切なことを、若い野村さんから教えられたような気がする。

 出席者の多くが医療関連でもあったことから、プレゼン画面を指すポインターは、放射線治療機器の製造販売を一貫して行っているエンジニアリング・システム㈱代表取締役の柳沢真澄(やなぎさわますみ)さん、そして、多機能デスクトップ型プラットフォームの開発で「ものづくり日本大賞優秀賞」を受賞した高嶋産業㈱開発部の佐藤尊史(さとうたかし)さんと栗林かおるさんへと手渡されていった。通訳をはさまず、ジェスチャーを交えながら自分の言葉で伝えようとするプレゼンに、出席者の関心もおのずから高まり、スクリーンが変わるたびに質問も飛び出した。

 別れ際、最後の街「アヌシー」(Annecy/オート=サヴォワ県の県都)へ向かうバスを待たせつつ、平出正彦会長から、見送りに集まってくれたブザンソンの方々に記念品が渡された。それは、和風のデザインで、様々なモノを優しく包み込み、結ぶことができる「風呂敷」と、出会いを大切にするメンバーの気持ちを表す言葉を、書家でもある諏訪テクノレイクサイド地域センター事務局長の今井敏夫さんが認(したた)めた「色紙」であった。

 「これは『光陰如矢』(こういんやのごとし)
と読みます...。この出会いを大切にしたい、そして今このひと時が、私たちの製品を得ることができる最大のチャンスという意味でもあります。
透かさずビジネスに結び付ける平出正彦会長の直訳に笑いの輪が広がった。

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 そしてミッション最後の晩、御柱祭りにも参加したことがあると話してくれた「テザム」(Thesame/アヌシー県の産業支援機構)の専務理事モントー氏(Andre Monteud)の案内で、夕食会が開かれた。
 モンブランの麓のレストランに向かう道すがら、白く短い顎鬚に笑顔が印象的なモントーさんから、モンブランをデザインした大きなポスターと五輪招致のパンフレットをいただいた。
 ローヌ・アルプ州には、三つの冬季五輪開催都市※2があるが、白馬村の友好都市でもあるアヌシー(Annecy)が、2018年の開催候補地として手を挙げていた。

 実はこの「2月10日」は、NAGANO冬季五輪から正式種目となったスノーボード女子大回転で、カリーヌ・ルビ(Karine Ruby当時20歳)がフランス最初の金メダルに輝き、号外を飾った記念日でもあった。しかしそのルビは一昨年、青空5月のモンブランでクレバスに転落し、31歳の若さで命を落としてしまう。もしも開催地がアヌシーに決まれば、彼女が駈け抜けていただろうゲレンデで冬季五輪が開催されることにもなるのだという。

 私は、あのNAGANOでボランティアとして選手村と表彰式会場を往復していたことを思い出しつつ、モンブランをこよなく愛するモントーさんに「2018年には、あのNAGANOで生れた子供たちもちょうど20歳。彼らがフランスの皆さんとともに、モンブランを望む表彰台に立つのを楽しみにしています。」と伝えた。

(DTF研究会欧州販路開拓ミッションより おわり)

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(蕾が膨らみ始めていたブザンソンの桜)
※シャモニー(1924年)、グルノーブル(1968年)、アルベールビル(1992年)と、フランスでの冬季オリンピックは、すべてローヌ・アルプ州で行われている。


【掲載日:2011年4月13日】

林 宏行

財団法人長野県テクノ財団 事務局長

1963年下伊那郡喬木村生まれ。長野県商工部振興課、総務部地方課、市町村TL(課長)、下伊那地方事務所地域政策課長などを経て、2010年4月から現職。

http://www.tech.or.jp/