[コラム]ものづくりの視点

vol.72修・破・離
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
若林信一

 ある産学官の研究会で、「技術で勝って、商売(ビジネス)で負ける構図からどう脱却したらよいのか」といった溜め息まじり質問が次々と発せられ、その日の議論の中心テーマになってしまったことがあった。それは、SAMSUNGをはじめとする新興国の企業がいち早く「日本に学ぶ」から「自分たちが勝てるモデル」への転換を図り、ボリュームゾーンを独走していくのとは対照的な、今の日本の焦りをも見るようでもあった。

 仕事柄、様々な研究会に出席する機会が多いが、地域産業のイノベーションやクラスターづくりの重要性などを熱く語る産学官のリーダーたちが集まっても、今の日本企業が直面しているビジネスモデルの転換や世界標準化への妙案はなかなか出てこない。経営システムの変革やイノベーションは口で言うほど容易なことではないのだ。

 日本の工学者で東京大学名誉教授の畑村洋太郎氏は、著書「失敗学のすすめ」(2000/11講談社)の中で、すべての技術には、萌芽期、発展期、成熟期、衰退期があり、そのサイクルは概ね30年であるとしている。その上で、とりわけ様々な失敗を繰り返しつつもそれを乗り越える多くの工夫が凝らされる萌芽期から発展期では、技術に磨きがかかり強固な工程が完成される。一方、成熟期から衰退期にはいると、関心は技術的な工夫や完成度よりも、効率や利益率へと徐々に移っていき、全体としての理解を欠いたままの部分的な合理化によって事故を起こしやすい、と述べていた。昨年は自動車の大規模リコール問題でゆれたが、今の日本のモノづくり産業は、丁度その時期にあるのかもしれない。

 こうした中で「技術」を建て直し、更に発展させていくためには、その技術がどういう背景や必然性、工夫の積み重ねや失敗の上に磨かれてきたのかを理解し、その上に立って考えてみることも大切だ。
 また、変革を阻むものは、案外身近にあったりする。組織に潜むチェンジモンスター(変革を妨害し挫折させる怪物)は、不安定な時ほど一人ひとりの心の中に棲みつくものだし、『思いて學ばざれば則ち(すなわち)殆し(あやうし)』という言葉があるように、真面目で改革の志に燃えていても「思い」ばかりが先行していては、経営そのものを殆くさせることもある。

 歌舞伎や能、武道や茶道といった世界では「修(守)、破、離」(しゅはり※)いう言葉が伝えられている。解釈は一様ではないが、「修(守)」は、師から基本をしっかり習い身につけることであり、「破」は、それを理解したうえで壁を破り或いは工夫を加えて自己を磨き一段上の段階へ進めること、「離」は、そこから離れ新たな価値創造に向けて行動していく、といったところだろうか。
 振り返ってみれば、技術もまた、「修(守)・破・離」というサイクルによって、創造されてきたように思う。ひとが心の中で思い描く世界の広さ、深さ、大きさは計り知れない。にもかかわらず今日、技術は人の手を離れ、機械や装置に組み込まれて世界中を渡り歩くようになり、イノベーションの源泉ともなる「心」が置き去りにされつつある。
 「失われた20年」などといつまでも嘆いているのではなく、手元にあるものを見つめ直したらどうだろうか。物も技術も、まだまだ我々の目の前にある。

(※世阿弥が残したとも云われ、「修(守)離破(しゅりは)」とも表現されている。)
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【掲載日:2011年1月26日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
1949年長野県生れ 新光電気工業(株)にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。
http://www.tech.or.jp/

vol.71The Boiling Frog Story(ゆでガエル)
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
若林信一

 カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び跳ね、そこで命が救われることもあるのに、冷たい水の状態から徐徐に温めていくと、何も気づかぬままに、やがて茹で上がって命を落としてしまう。そんな寓話をベースに、マネージメントや人材育成のあり方などをまとめた「ゆでガエル現象への警鐘―あなたは大丈夫ですか?」(中桐有道著:2006/11工業調査会)という本がある。

 私がこの本を知ったのは、元サムスン電子常務で、東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センター特任研究員の吉川良三氏の講演がきっかけだった。二年間を韓国で暮らし、サムスン電子ともビジネスで深くかかわってきた私にとって吉川氏の講演は、共感する場面も多く、とても有意義なものであった。ことに、いまだにアジア諸国に対し優越的意識を持つ日本の経営者や、独りよがりの技術・性能に囚われ勝ちな技術者もいるなかで、「ゆでガエル...」に触れながら真のグローバル化を説く吉川氏の言葉は明快かつ示唆に富み、たいへん感銘を受けたのだった。

 今の韓国企業の活躍ぶりは目を見張るものがあるが、実は、大きな経済危機とともに打ち寄せてきたグローバリゼーションという高波に挑んだ成果でもある。現に、デジタル技術の設計開発の業務革新を担うため、韓国サムスン電子に入社した吉川氏を待ち受けていたのは、「朝鮮戦争以来、最大の国難」とも云われた「IMF危機」であった。
 97年7月よりタイを中心に始まった、急激な通貨下落(減価)現象は、アジア通貨危機(the Asian Financial Crisis)とも呼ばれるように、タイのみならずアジア諸国へと広がった。とりわけ、工業化に注力していた韓国、インドネシア、タイはその経済に大きな打撃を受けることになる。
 しかし韓国の経済は、デフォルト寸前の状況にまで追い込まれIMFの介入を受けながらも、他国よりいち早く克服に向かった。それは、「女房と子供以外はすべて取り換えたい」という悲痛な叫びから始まった、と吉川氏が語るように、それまでの日本追随型の企業経営を改め、グローバル化に向けて大きく舵を切ったからだといわれている。

 もっとも、サムスン電子再生の影には、強い危機意識に加え、「QCD(品質、コスト、納期)は顧客が決めるもの」という意識改革、70カ国にも及ぶ語学や文化を学び地域密着型の製品を提供するための「地域専門家制度」、「平均的生活層」の市場を狙う製品づくり、等々の必死に考えた確かな企業戦略があることを見逃してはならない。そして今やSAMSUNG(サムスン)は、液晶テレビや携帯電話などのボリュームゾーンで、日本企業の追随を許さぬ存在となっているのだ。

 ところで、実際のカエルは機敏な生物である。しかも、孵化したオタマジャクシは、鯰(ナマズ)や鯨(クジラ)のように姿をそのままに巨大化するのではなく、手足を得て陸へと上がり、次なる世界へ向かって跳躍(ジャンプ)していく。自らが新機軸「イノベーション」を創造する生き物なのだ。そして約4,800種といわれるカエルは、世界各地の水辺や森に棲み、中には砂漠に生息するものもいるそうである。
 そもそも世界は多様(Diversity)で変化(Change)に満ちている。いつまでも、自らを「ガラパゴス化」と憂いているのではなく(ちなみにガラパゴスにカエルはいないが...)、カエルのように、世界に果敢に飛躍してゆく年としたいものだ。

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古池や蛙飛びこむ水の音(芭蕉)

【掲載日:2011年1月21日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
1949年長野県生れ 新光電気工業㈱にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。
http://www.tech.or.jp/

vol.70成功の鍵は、生産技術か製品技術か
山岸國耿

高い土地、高い人件費でなぜ安くできるのか・・・・

 先日ある会社の社長さんから、「下請け仕事の話が神奈川県の大手の会社からあったが、受注を逃してしまった。東京の会社に持っていかれた。受注単価が東京方面のほうがずっと安くできる。」とのお話をお聞きいたしました。
 又、以前ある建築会社の社長さんから、「今回自社の社屋を建築したいと考え、自社で建築した時の見積もりをし、更に東京の建築会社にも、見積もりを頼んだところ、自社で建築するよりもかなり安くできることがわかり、結局この会社に建築を依頼した・・・」とのこと。
 「下請け仕事など、受注単価が東京圏や名古屋圏方面が安い、長野県のほうが地価も人件費も安いのに受注単価が高い」との話を時々聞きました。理由の一つに、東京圏等は、同業者の数が格段に多く、競争が大変激しいことがあげられています。結局その競争が、物を安く作る技術を向上させているといえましょう。

 さて製造業には、新商品を開発し、生産し販売するという一連の工程が有ります。
 これらの中で、生産する技術は文字どおり"生産技術"といい、なかでも激烈な競争で、商品を"より高品質で、より安く、より短期間"で生産する技術が最も必要とされています。トヨタ生産方式などに見られるような「かわいた雑巾を更に絞る」といわれるコストダウン技術等が、その一例といえましょう。
 一方、生産技術以外の 商品を開発し販売する工程の技術のことを"製品技術"と言っています。主に客が買いたい商品、求める商品を開発する技術と、これらを販売する技術を指しています。
 "How to Make"どう作るかは生産技術、"What to Make"何を作るかは製品技術と言っています。

 県内の製造業の大部分は、前にも述べましたが「部品型企業」といわれる生産技術主体の下請け的企業です。一面 分野によっては、東京方面や名古屋方面と比較した場合、同業者間の競争が少なく受注単価が高いとも言われ、生産技術の向上が大きな課題となっています。昨今は、競争相手企業が国内のみならず、東アジア一帯にも広がっており、大変厳しい環境にあるといえましょう。

 県内にはこれらの工程全部を持ち、商品の値段を自社で決めることがでる自社商品を持つ、いわゆる「製品型企業」も電機や農業機械メーカなどにあります。その多くが、大企業にはできないニッチ(すき間)な市場に狙いを定めた企業です。生産技術も当然必要ですが、これら企業の場合キーテクノロジーは、むしろ製品技術にあり、今後技術開発力や販売力の向上が急務です。

 いずれにしても、自治体等の政策当局にとっては、企業誘致を一層進めることによって集積を図ると共に、企業にとっては、それぞれのタイプによってその成功の鍵(KFS)となる技術は異なりますので、必要とされる技術に的確にねらいを定めた技術力の向上が求められましょう。

【掲載日:2011年1月11日】

山岸國耿


昭和19年上田市生まれ。38年間長野県職員として長野県商工部関係機関に勤務。長野県工業試験場長を最後に定年退職。その後財団法人長野県テクノ財団に勤務、専務理事を平成22年3月末に退任、平成22年7月に国の地域活性化伝道師に就任