[サイプラススペシャル]35 ジャンルを超えた「技術の融合」 研究者・営業マン・経営者 ひとり三役

長野県諏訪市

松一(まついち)

研究員1人の「研究開発型企業」
相談を持ち込まれれば「何でもやれる」小さな大企業

 社長自ら「つかみ所のない会社」と表現するように、松一は不思議な企業だ。
 現在の主力は、精密部品の仕上げ加工と製品検査。8人の従業員が、拡大鏡を覗きながら黙々と作業を行う。
 しかし本業は「技術開発研究室」。しかも、研究開発を行うのは社長ひとり。

 もっとも得意とするのは微細切削加工。「他がやらない」技術力を武器に、大手メーカー、地域企業や研究機関などの依頼を受け試作品開発を行うことで、さらに自社の技術を高める。
 金属を削る加工だけでなく、サファイアにねじ切りをしたり、ステンレスに伝統工芸である蒔絵(まきえ)を施すなど、「なんでもやれる」事が身上のひとつ。特定の加工技術に固執することなく、さまざまな技を、企業や地域、研究機関から柔軟に取り入れる姿は、まさに「技術のカクテル」だ。

ひとりきりの「技術開発研究所」

「なんでもやります!」

matsu1-03.jpg 諏訪市・豊田の株式会社松一の看板には、社名の下に大きくこう書かれている。
 「技術開発研究室」

 「話が持ち込まれれば、なんでもやります」。
 笑顔で語るのは、松一の松澤正明社長(46)。現在の主たる業務は、切削を中心とした精密加工だが、「本業は研究開発」。「とにかく、人様の役に立つ企業でありたい、だから何でもやるんです」と、松澤社長は続けた。

 名刺にも、自身の名前より大きく「技術開発研究室」と印字されているように、松一は精密加工を主としながら、企業などからの依頼を受け様々な加工技術に挑戦している企業だ。

匠の技を持つ経営者

matsu1-04.jpg 恰幅の良い体形、太い指。
 松澤社長の風貌からは想像できないが、松一の得意とするのは超精密の切削加工技術だ。しかも、研究開発に携わるのは、社長ひとり。特殊な機械を操り、精密かつ微細な加工を行う。

 「いろいろな企業さんからの受注を受けておりまして、これ以上はお見せすることができないんです」。そう案内された研究室。外見は木造の倉庫だが、中は独自に改造が施されており、専用の加工機械がいくつも並んでいた。

 唯一取材を許されたのが、刃物の加工。
 微細な切削を行うためのドリルは、自らの手で剛金を削って作らなければならない。
 「本当に専門的なところは、もちろん専門の方にお願いしますが、一通り何でも自分でできます」そういうと社長は、大きな体を小さく畳み込むような姿勢で、拡大鏡を覗き込みながら削りだしの作業を実演した。

 低く響くマシンの振動と、金属と金属が擦れる音が部屋に響く。両手で微妙な位置を調整し、息を殺して行う作業は100分の1ミリ以下の精度が求められる。スイス製の万能研削盤を巧みに操る社長の姿は、匠の技を持つ技術者だった。

100分の3mm 「難削材」への超精密加工

matsu1-05.jpg 松一の、というより松澤社長の加工技術は、精密加工業者が多い諏訪地域においても、高いレベルを有する。

 「数年前から、厚さ0.1mmの薄さのステンレスに、直径100分の3mmの穴をあけることができます」。ステンレスは「難削材」と呼ばれるように、柔らかいゆえに高い精度で削るのが非常に難しい。
 金属だけでない。加工が難しいといわれるガラスにも「直径0.5mmの穴を、0.55mm間隔で」穴をあける。

 こうした技術も、実は「紹介できるのは、数年前に実現できた」ものだという。「最新のものは、秘密事項が多く紹介することができません」。なぞのベールに包まれた研究室同様、企業などからの委託を受けることで高まっている技術力や実績は「秘密事項」となっている。

技術のカクテル・・・融合による新たな挑戦

木曽と諏訪の融合「蒔絵」ステンレス

matsu1-06.jpg  松一のもうひとつの特徴は「技術の融合」だ。ハイレベルな超精密切削加工技術を、まったく別の技術と融合させ、新しいアイデアを実現させる。

 「ジャンルを問わないことが、最大の『強み』」と松澤社長は、ステンレス製のスプーンを取り出した。湾曲した部分には、もみじや南天などの模様が彫り込まれている。
 「これは『蒔絵』です」。ステンレスの表面をドリルで削った後、漆(うるし)を用いた特殊加工を施し、その上に金粉を撒き美しい図柄を浮かび上がらせることに成功したという。
 蒔絵といえば、木曽漆器などで用いられる伝統工芸技法だ。「金属を削る技術だけでなく、冶金学や薬品化学など組み合わせが重要」と、社長。

 蒔絵スプーンは、まさに木曽の伝統工芸と、諏訪の精密加工の融合だ。既存技術を組み合わせることで、これまでになかった新たな技術が生まれている。

サファイアへのねじ切りを可能にする高い切削加工技術

matsu1-08.jpg 「展示会で驚いてもらうために作りました」と、松澤社長が手にしたのは、サファイア。単なるサファイアではない。半透明の鉱石に、鉄のボルトが突き刺さっている。「サファイアに、『ねじきり』加工をしました」。

 もともと「超硬(ちょうこう)」と呼ばれる非常に硬い金属に切削加工で「ねじ切り」する技術力を持っていた松一だが、「展示会に出したら『本当に切削?放電加工じゃないの?』って疑われました。硬い金属の場合は、放電加工が一般的。切削であることを証明するために、金属以外の加工を思いつきました」。

 「金属だけでなく、ガラス加工の需要が増えるはず」古くからカメラ製造が盛んだった諏訪には、高いレベルのガラスを「磨く」技術が蓄積されている。さらに「金属と同じ様に『削る』微細な加工がもとめられる」と考えた社長は、金属以外でも独自の精密加工技術が生かせると研究開発を続ける。

「カクテル」で新たな技術が生まれる

matsu1-09.jpg 「ステンレス製スプーンの蒔絵」では精密加工と伝統工芸を融合させ、金属への加工を非金属に応用し「サファイアねじ切り」を可能にした研究開発室・松一。
 松澤社長は「技術のカクテル」と表現する。

 カクテルとはもちろん、ベースとなる酒に、他の酒やジュースなどを混ぜあわせるアルコール飲料だ。同様に「『今ある技術』も、他の技術と組み合わせれば『新しい技術・アイデア』に変わります」と松澤社長は言う。
 精密切削加工というベースに、ガラス加工や漆塗りなど他の技術を合わせ、社長の手によってシェイクされることで、これまでなかった発想が生まれているのだ。

技術にとどまらない「カクテル=融合」

原点は「あたらしもの好き」

matsu1-10.jpg 試作品はどれも、究極の「多品種1個生産」。ひとつひとつ、複数の技術を応用して作られる。
 「多品種1個生産」を可能にしているのが、松一における技術のジャンルを超えた挑戦であり、その原点にあるのは「あたらしもの好き」の精神だと、松澤社長は考える。

 「スポンジのようなものです。新しい受注があれば、その技術の色に染まり、また別の仕事を請ければその色に染まる」。「何でもやれる」自信は、これまでに蓄積れた技術力に裏打ちされている。

新たなものに挑戦するDNA

matsu1-11.jpg  「あたらしもの好き」は、松一という企業DNAによるところも大きい。
 松一の創業は1927年、創業者松澤一正の名前から「松一商店」という雑貨商よろずやから出発。以降、80年以上「ジャンルにとらわれない」発想で時代変化に即応し、激動の世を生き残ってきた。

 小売業からものづくりへの展開は1940年代の海軍飛行機組立から始まる。戦後は下駄の製造、さらに米粉づくりを経て、「松一のあられ」として全国に出荷された菓子製造に至る。
 当時2~3歳だった社長も、あられを作っていたころの記憶があるという。しかし「はじめは好調だったが、お菓子も洋式化が進み需要が落ち込んだ」ことから当時諏訪地域の一大産業だった腕時計部品メーカーとして再出発する。この時の陣頭指揮をとったのが、現社長の父親、故・正太郎氏だった。

 「当時から提案型の企業でした。父親はもともとフィルムメーカーの技術者で、開発を担当していた。だから製造方法や技術的な分野でも、改善案や独自の提案をしていったようです」。最盛期には50人以上の従業員を抱え、高い技術力から「腕時計の裏蓋(うらぶた)といえば松一」と呼ばれる存在にまで成長した。

5歩先を歩き続ける

matsu1-12.jpg 先々代、先代から続く「新たな挑戦」は、3代目の今も継続している。
 国内時計産業の衰退から、松一は現在、技術開発に特化している。「今日、日本で発明された技術でも、明日には中国で生産ラインができている」と社長が冗談を交えるように、国内のものづくりは受難の時代だ。

 技術もグローバル化する中、松一が意識するのは「常に、5歩先を歩み続けること」。「はじめは半歩、そのあとは1歩先。ちょっと早く歩いて、5歩くらい先に進んでいることが大事。後は歩みを止めなければ、5歩先を歩み続けられるのでカンタンには真似できない」。社長は笑った。

夢は「博士号を持った匠(たくみ)」の育成

matsu1-13.jpg 諏訪の小さな大企業は、その歩みを止めない。

 同じく諏訪地方で微細加工などの技術開発を行う中小8社とともに、新たな研究会を立ち上げ、同時に国の研究機関や大学などとも積極的に共同研究を進めている。「世の中に出る前の新素材を、実際に『味見』させていただいています」と、社長。学会で研究論文の発表を行うなど、取り組みも本格的だ。

matsu1-14.jpg 松一は、ものづくりの人材育成にも積極的に関わっている。「目標とするのは、博士号を持った匠(たくみ)」。技術が高度化するにつれ、知識と技能の垣根が明確化する中で、「大学院で理論も学び、現場で旋盤を扱える...そんな人材を育ててゆきたいし、実際少しずつ育ってきた」。
 技術のみならず、地域や人材も「融合」によって進化させる。信州・諏訪の地から、新しい「産業のカクテル」が生まれる日も近い。

【取材日:2009年6月18日】

企業データ

株式会社 松一
長野県諏訪市豊田文出230-1 TEL:0266-52-1317
http://www.matsu-ichi.co.jp/