[コラム]ものづくりの視点

vol.04テクノハイランドは、産業界あげての運動だった
財団法人長野県テクノ財団 専務理事
山岸 國耿

テクノハイランド構想 草創のころ

先日、県内企業の長老とお話をする機会がありました。そのとき「テクノハイランド(高度技術都市圏)構想」草創の昭和62年頃の話題が出て、「テクノハイランドは、長野県の産業を高度化しようという願いをこめた産業界あげての運動だった、みんな一生懸命にやった」とのお話がありました。私自身は当時、数年間この事業にたずさわりましたが、「願いをこめた運動だった」のお言葉に心を打たれ、その頃を思い起こしました。

このサイプラスのコラムVOL.01に記載しましたとおり、現在の財団法人長野県テクノ財団の前身は、財団法人長野県テクノハイランド開発機構(昭和61年11月設立)と財団法人浅間テクノポリス開発機構(昭和60年11月設立、テクノポリス法の承認 昭和62年12月)です。この両財団は長野県が昭和59年3月に提唱した「テクノハイランド構想」に基づき、研究開発や人材育成を狙いとして、産業界などからの出捐金を基に設立されたものでした。

当時国では、テクノポリス法(高度技術工業集積地域開発促進法)が制定され、「地方都市圏において高度技術に立脚した工業開発をすすめ、産・学・住が一体となって地域の自然・文化と調和した魅力ある町づくりを進めよう」としておりました。長野県の「テクノハイランド構想」は、この法律の考え方を基礎に取り入れ、長野県らしさを加えて産業界に提唱したものです。

この県の構想はちょうど時宜に適したものとなり、県内企業の皆様方に大変大きな反響を呼び、前述の長老のお言葉どおり「産業界あげての運動」の状況にまで盛り上がりました。以来、大学や市町村等のご協力と、長野県経営者協会の全面的なご支援の下、各地域の代表的な企業の社長さん方が支部長になられ、毎月のように開催される「テクノハイランド構想」実現のための会議や各支部での説明会等に毎回熱心にご出席いただき構想を練り上げました。その結果、財団の設立とともに基金の出捐金集めなどにも、大変なご尽力を賜り現在の58億円の基金へとつながりました。

設立当初の基金集めには、私も少なからず関わり、県内の企業などを訪問し説明して回りました。中でも思い起こされますのは、この財団の中心的事業は工業振興ですが、町づくりの視点から、直接的メリットの薄い商店や旅館等からも基金へ出捐して頂いたことです。

当財団の活動の基となっている基金は、このような方々の熱い願いのこもった尊いご支援によって造成され、現在があるのだということを肝に銘じ、設立の趣旨に沿った活動に邁進しなければ...と思う次第であります。

【掲載日:2008年8月18日】

山岸 國耿

財団法人長野県テクノ財団 専務理事
昭和19年上田市生まれ。38年間長野県職員として長野県商工部関係機関に勤務。長野県工業試験場長を最後に定年退職。当財団浅間テクノポリス地域センター事務局長を経て、現職に就任。
http://www.tech.or.jp/