[コラム]ものづくりの視点

vol.57パワーズ・オブ・テン
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
若林信一

 10月のある昼下がり、ピクニックで公園の芝生に寝そべっていた男女から、上空へ向かってカメラがぐんぐん遠ざかっていく。そして、銀河、宇宙へと拡大して行ったかと思うと、今度は急速に男に戻って、細胞の中の微細な世界まで入り込んでしまう。この僅か9分半の驚くべき"旅"の映像は、イームズチェアで有名なチャールズ&レイ・イームズ夫妻が1968年と1977年の2度にわたって制作した『パワーズ・オブ・テン』(POWERS OF TEN)という短編映画だった。
 日本語に忠実に訳せば「10の力」という意味になるが、「10」という数字をベースに、10X(X回乗じた尺度)で加速してゆくスケールの神秘を映像化した科学映画でもあるのだ。カメラは10秒ごとに10倍ずつ離れていく。地球もたちまち点となり、太陽系を飛び出したかと思うと、160秒後には1光年、4分後にはついに1億光年(1024m)の視界限界、無限の静寂へとたどりつく。そして一転、もとの世界へと戻っていく。
 公園の二人のもとに帰還したカメラは、今度はミクロへの旅となる。40秒後には10-4、つまり0.1ミリのスケールで毛細血管の中に入り込み、70秒後にはDNAのらせん構造を見て、100秒後に原子へ、ラストは陽子、クオーク(10-16)の世界へと至るのだ。
 ちなみに1024を日本語では「予(じょ)」と、10-16を「瞬息(しゅんそく)」と読む。まさに息もつけない。

 さて、現実のわれわれの世界では、1万倍(104)くらいのズームイン、ズームアウトができれば大抵のことは見えてくる。
 分野にもよるが、一般的なものづくりで課題となる異物や傷は、この程度の尺度の中で容易に観察することができ、原因の特定も可能だ。10-6(1μマイクロ)mのものも、1万倍に拡大すれば1cmの大きさとなる。逆に、必要以上の倍率を得ても、かえって何を見ているのか判らなくなる。同じモノを中心に据えていても、スケールの変化によって、そこに現れるフォルムは大きく変化するものなのだ。

 ところで、蝉の仲間のウンカは蝉のようには鳴かないが、メスは腹部振動で人には聞こえない波長の音を出し、オスに居場所を教えているという。また、モンシロチョウは、オスとメスは同じ白色に見えて、肉眼ではまったく区別がつかないが、オスは人の目には見えない波長域でメスの色を見分け、決して間違えないそうだ。
 かつて、世界一美しいといわれる「モルフォ蝶」の鮮やかな青色を、ナノテクノロジー(nanotechnology)を駆使して再現したという研究事例を見かけたことがある。蝶の美しさは、色素によるものではなく、鱗粉(りんぷん)の微細構造によって生み出され、その一つひとつは、画素数の多い写真のように、どこまでもはっきりしている。拡大すると、モザイクが掛かった ようにディテールが消えてしまう粗悪とは違うのだ。
 蝶にはそれをも見分ける力があるのかもしれないが、品質の高さ、優れた機能性とは、こういう話と似ているような気がする。

 現場ではしばしば、「木を見て森を見ない」とか「森を見て木を見ない」などとさとす場面があるが、どのスケールでモノを見るかで、そのモノの意味すらも変えることがある。蝶の鱗粉のような微細構造を持ったスグレモノを作るためにも、適切な視野のとり方と、複眼的、多面的なモノの見方に心がけたい。

【掲載日:2010年9月21日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
1949年長野県生れ 新光電気工業(株)にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。
http://www.tech.or.jp/