vol.64 | 部分と全体 | 長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長 若林信一 |
アインシュタイン(Albert Einstein)や、ボーア(Niels Henrik David Bohr)など、20世紀の物理学を代表するひと達との対話が綴られた、ハイゼンベルク(Werner Heisenberg)の『部分と全体』(山崎和夫訳1974初版)という著書がある。不確定性原理を導き、31歳の若さでノーベル物理学賞を受賞した天才の自伝でもある。その副題に、「私の生涯の偉大な出会いと対話」とあるように、巨匠たちとの哲学的議論に加え、当時の彼らの考え方やエピソードを知ることもできる貴重な本だ。
少し哲学的な話になってしまうが、「部分」と「全体」は緊密に結びついている。「全体」が認識できても、「部分」が厳密に構成されていなければ実態のない空疎なものとなってしまう。他方、「部分」の持つ真の意味は、明確な「全体」像が描けていなければ、十分に理解できない。彼の自伝を読みながら考えさせられた記憶がある。
モノづくりは、多くの材料や部品を使用し、複雑な工程を経て製品として世に出るが、ここでも「部分」と「全体」の緊密性と最適性を考えることが大切だ。
たとえば、半導体チップは直径300mmものシリコンウエハーを使うようになった。併せて、最先端の配線ルールは45nm(ナノメートル)から35nmへとより微細な世界へと向かっている。巨大なウェハーと微細配線は、一度にたくさん作って単価を下げようとする半導体ビジネスの黄金則に則った戦略なのだ。
しかし、1ラインで数千億円という投資を回収するには、毎月何百万個も作って、しかも売れるチップがなければならない。現在、このような量産チップは、DRAMなど数種に限られている。「少量多品種」の要求が強くなっている現状を踏まえれば、現在のビジネスモデルは、「部分最適」であっても、「全体最適」とまでは言えなくなってくる。
多くの製造装置についても同様だ。製造側は出来るだけ多くの製品に対応できる万能な高性能装置を望むが、残念ながら多くの場合量産性と多機能化は両立しない。
余談になるが、技術(Technology)は放っておくと自律的に一定の方向性を持って突き進む性格を持っている。求める機能はもとより、装置の大きさや重さ、価格などを明確に提示しないと暴走していく。より多くの製品への対応をもとめた結果、無駄や過剰を生み、むしろハイコストとなってしまう失敗も見てきた。「なんでもできる装置は、実は何にもできない装置」であるという教訓を知ることは悪くはないが...。
ところで、アインシュタインは「科学者は自らが解くことができる問題を解くひと達で、技術者は解かなければならない問題を解くひと達だ」と云った。科学(Science)は、自然から或る「部分」を切り取って、自分たちの視点から理解しやすい形に単純化、理論化して理解することが行われている。そこにはモノを作って商品化することなどは前提になっていない。よく「科学技術」という言葉が使われるが、「Science 」と「Technology」とはアプローチのしかたが異なるのだ。
しかし、考えてみれば、現代のように進んだ工業化社会では、かつてのように経験と勘で新たな技術を生み出すことは極めて難しくなっている。むしろ「科学」を積極的に「技術」へと結びつけることが、モノづくり産業「全体」のイノベーションを生み出す力になるようにも思う。その意味でも今、「産学官連携」の真価が問われている。
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
1949年長野県生れ 新光電気工業㈱にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。
http://www.tech.or.jp/