[コラム]ものづくりの視点

vol.73白い蒲公英(タンポポ)
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
若林信一

 自分たちの価値観とは違う何かに出会うことは、外国を訪れたり暮らしたりするときの楽しみの一つでもある。
 私が二年間暮らした韓国では、日本と同じく「箸」(젓가락:チョッカラ)を使うが、必ずスプーン(숟가락:スッカラ)が付いてきた。唐辛子(고추:コチュ)は種類も多く、焼き肉の時などには味噌を付けてバリバリと一種のフルーツ感覚だったし、日本の物とは違って向こうが透けて見えるような海苔は、ゴマ油の風味と塩味が絶妙でビールには欠かせない存在であった。イタリアンレストランでパスタやパエリアを注文したら、キムチや沢庵漬けが添えられてきて、驚きつつも妙に納得してみたり...等々。同じと見えて違うこと、異なるように見えながらも、本質はほとんど変わらないことがあったりするものだ。そして、その歴史や価値観に触れたときには、それが些細なものであっても、なんとなく得した気分になったりする。

 私が赴任した2005年は、日韓関係がギクシャクした時であった。三月に島根県議会で「竹島の日」条例が成立し、韓国の反日感情が高まっていたし、赴任直後の6月には、対馬沖の日本海(日本の排他的経済水域内)で違法操業をしていたと思われる韓国漁船を海上保安庁の巡視船が拿捕、韓国側と対立し緊張が走った。経済面では、円に対してウォンがひたすら上昇し続け、円建てで日本に輸出するビジネス構造をとっていた会社の経営は大変厳しいものがあった。そもそも当時の韓国企業が置かれていた状況は、前方には技術や商品開発力で先行するアメリカや日本があり、後方には豊富な労働力と低賃金で大量生産する中国などが迫っていた。まさに前門の虎、後門の狼の状態でもあったのだ。

 然(しか)して、今日の世界経済はグローバルだ。そのうえ各国の利害が複雑に絡み合う混沌とした競争社会にあると、ともすれば自分達のいいところを見失ったりもしてしまう。
 安くはないが、いいものを作るようにすればいい、戦略や戦術が拙(つたな)くとも真面目に技を磨けばいい...、考えてみれば日本の成功の理由は、戦後の高度成長という側面もあろうが、アメリカなどの経済大国が光をあてていない領域での、地道な努力も多かったように思う。そして、その源泉は、わずかの傑出した人材の存在というよりも、多様な分野に存在した職人たちの層の厚さにあったのだ。
 私の好きな詩のひとつに、「... 鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」がある。身近にあった「細やかなもの、力の弱いもの、忘れがちなもの」を題材にしていた金子みすゞの詩は時に、小さな違いに気づくこと、一隅を守ることの大切さを思い起こさせてくれる。

 今年もはや立春。雪の下では、様々な草花が春を待っているのだろう。そういえば、韓国には白い蒲公英(민들레:ミンドゥルレ)もあった。蒲公英は世界の彼方此方(あちらこちら)で咲くが、白いのは珍しい。
 春まだ浅い順天市(スンチョン)の、民家の片隅へと続く土の道に見た、石垣を分けて咲く白い蒲公英の眩しさは、今も忘れることができない。

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【掲載日:2011年2月 4日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
1949年長野県生れ 新光電気工業(株)にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。
http://www.tech.or.jp/