[コラム]ものづくりの視点

vol.80「鉄の国」のプレゼン
財団法人長野県テクノ財団 事務局長
林 宏行

(DTF研究会欧州販路開拓ミッション北欧編より)

 1月31日月曜日午前8時半、ホテルを出たバスは、まだ街灯が点る朝の道を郊外の雪の丘へとのぼり煉瓦色の建物の前で停まった。深夜に到着したこともあるが、頭の中はまだ長い一日が続いている感じだった。
 実は今回のミッションの企画段階で、これまで友好を深めてきたスイス、イタリア方面の航路に、北欧の街が加えられたのは、相手方からのオファーがあったからだった。
 プレゼンは、会社や製品をPRするよい機会であるが、まずは思いや技術を正確に伝え合うことが重要だ。その際、専門用語の通訳は欠かせないし、映像や現物があれば会話も弾む。DTF研究会のプレゼンは、それぞれ工夫が施されていたが、佐藤吉宗さんの巧みな表現にはずいぶん救われたようだった。また、西山泰登(にしやまやすと)さん(㈱西山精密板金代表取締役)が持参した銀色に輝くギターの模型も、DTFの技術水準をアピールするのにはたいへん効果的であった。

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 ヨーテポリ大学の医学部に併設されているこの建物には、ホールやランチルームも備えられていた。吹き抜けの二階、大きな窓に面したフロアにテーブルが並べられ、ここで、ランチミーティングとなった。
 「この国の高福祉や社会保障は、高い労働生産性や国際競争力の結実がもたらす"強い経済"と税制による再配分が大前提にあるんです...。」佐藤吉宗さんは、北欧の海の幸だという分厚い鱈のソテーを解(ほぐ)しながら、福祉国家の一面を話してくれた。
 「ノーベル賞の聖地」でもあるこの国には、世界中の最先端技術や製品に関する情報が自然に集まってくるともいわれるが、佐藤吉宗さんによれば、それは単なる「新しモノ好き」の国民性というより、長い歴史の中で、海外諸国の大学、企業を含めた「産学官連携」を重要視してきた成果でもあるのだという。※

 その佐藤さんが、霙(みぞれ)立つヨーテボリの街で案内してくれたのが、ベアリングや工作機械の世界的大手「SKF」だった。オフィスビルのすぐ裏には、川を挟んで古い煉瓦の建物が並び、昔は製糸工場であったという広い構内では、様々な用途のベアリングが造られていた。
 「鉄は、生きています。時代や技術が変わっても、鉄の本質は変わりません。製造機械は22~25℃に保ったままです。また、最近は、化学薬品の使用を抑えて水と超音波で洗浄するなど環境にも配慮しています。」厳格で律義そうなマネージャーの解説を、佐藤さんが淀みなく訳していく。
 社員教育には熱心だ。海外工場の従業員であっても本社まで呼んで、品質の基礎から製造まで徹底的に教育して国へ帰すし、金融危機の最中には、たとえ製造部門は停まっても、教育だけは続けたという。
 「危機を実感出来るときこそ、世界競争で勝つための技術や経営が身に着く。危機克服後に、更に強くなれるチャンスだからです。」マネージャーは声を強めた。

 ところで、日本が年号を昭和に変えた1926年、この巨大な工場の一角で、小さな社内ベンチャーが1台のプロトタイプを完成させる。それが、この国を代表する自動車会社「Volvo」へと進化を遂げることになるのだが、その名が、SKFのベアリングの商標であり、ラテン語で「私は廻る」を意味する言葉だったということを、ここに来るまで私は知らなかった。

 さて、ショールームには、鏡のように磨かれた鉄の球やベアリングが並べられ、奥の真っ白な壁には、ほぼ水平に取り付けられた金属の厚い円盤がいくつも見える。そのピカピカに輝く円盤の意味を尋ねようとした瞬間、パチンコほどの鉄球が一粒、また一粒と天井の穴から降ってきて、円盤から円盤へとリズムよく跳ねながら曲を奏で出した。左右に往ったり来たりした鉄球は、重力に沿って徐徐に緩やかになり、隅に用意された小さな穴へと行儀よく吸い込まれていった。これは通訳など要らない、その精度を誇る「鉄の国」の粋なプレゼンであった。

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※佐藤吉宗さんの著書「スウェーデン・パラドックス」(日本経済新聞出版社)は、産業経済のみならず、税制や地方分権に対する市民意識についても触れられており、行政関係者にもお勧めしたい。


【掲載日:2011年4月 8日】

林 宏行

財団法人長野県テクノ財団 事務局長
1963年下伊那郡喬木村生まれ。長野県商工部振興課、総務部地方課、市町村TL(課長)、下伊那地方事務所地域政策課長などを経て、2010年4月から現職。
http://www.tech.or.jp/