vol.91 | 羊羹(ようかん)とティラノサウルス | 長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長 若林信一 |
私が入社した'79年は、オイルショックの直後でどこの会社も逆風にあえいでいた。大手の入社式は、4月21日付けであったし、ひと月以上遅らせる会社も多かった。
初出勤は、三ヶ月遅れの6月23日。しかも同期入社は私も含めて2人だけという心許(もと)ない状況であったが、そんな中で当時の社長は、ひとつのたとえ話をした。
「うまい羊羹も、うまいうまいといって、食べてしまえば終わる。利益の出る良い商品であっても、それだけを作っていれば、いずれは同じものが出てきて売れなくなる。大事なことは次なる羊羹を作り出すことのできる職人を自分達の中に持つことだ。」
新規雇用など出来る状況にない時に、地方の小さな会社が、大学や大学院を出た学生を採用したのも、そういう役割を期待してのことだ、と仰っていたことを覚えている。
ところで、新しいアイディアやイノベーションをもたらすような発想や考え方はどのように培われてゆくのであろうか。
ノーベル賞物理学者のリチャード・P・ファインマン(Richard Phillips Feynman, 1918-1988)は、その自伝集「聞かせてよ、ファインマンさん」の中で、いくつかのエピソードを紹介している。
「この動物は身長25フィート、頭の幅は6フィートもある...、ということはどういうことなのかひとつ考えてみよう...」 まだ小さなファインマンをひざに乗せ、大英百科事典を開いた父親は、更にこう続ける。
「こいつがうちの庭に立っているとすると、この二階の窓に頭をつっこめるぐらいの背丈があるっていうことだよ。だけど頭の幅が広すぎるから、頭を突っ込もうとしたら窓のガラスが壊れるだろうな...」
彼の父親は、「ティラノサウルス」という恐竜の名前はともかく、本に書かれていることが、実際にはどういうことなのか、現実に当てはめて、本当はどういう意味なのか、何を言おうとしたのか解釈させることを身につけさせていったというのだ。
また、こんなこともあった。
MIT(マサチューセッツ工科大学)に入って二、三年して帰省してきたファインマンに、彼の父はこう尋ねる。
「原子がひとつの状態から他の状態に移るとき、光子と呼ばれる光の粒子を放出するそうだな、さてその光子だが出てくる前から原子の中にあったのかい?それとも始めはなかったのかい?」
原子の中に始めから光子があるわけではなく、電子が状態を変えるときに出てくるというのが定説であるが、ファインマンは説明にまごついてしまう。
しまいに彼は、「今こうしてしゃべっている声があらかじめ僕の中にあったわけじゃないのと同じだよ」と言うわけにもいかないし...、と苦笑しつつ科学を人に分かりやすく説明することの難しさを述べていた。
さて、去る6月14日、(社)日本経済団体連合会が、「グローバル人材の育成に向けた提言」を公表した。
背景には、世界的に激化する人材獲得競争と、グローバル化に対応できる人材の育成面で、他のアジア諸国にも後れを取っている日本の現状と、将来的な危機感があるという。
また、対策のひとつとして、若者に働くことの意義や職業観を身につけてもらうために、企業が、出前授業等を通じて小中学校の授業に直接関わり、子供たちの職業意識を高めていくことも提案されていた。
"技術は人なり"、"人を大切にする経営を目指す"などといいつつも、日本の企業の多くは、人件費の安い海外へと展開を重ねてきた。加えて、若い技術者を採用しても、目先の対応から直ちに各部門に配属してしまい、全体を知るための研修や技術実習などは、先送りにしてきたように思う。こうした歪が今、表面化しているのではないだろうか。
うまい羊羹を次々に生み出しつづけることは容易ではない。今の日本は、子どもたちに「ティラノサウルス」を現実の中に思い浮かべさせ、理解し、興味をかきたてることから始めなければならないのかもしれない。
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
1949年長野県生れ 新光電気工業(株)にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。
http://www.tech.or.jp/