[コラム]ものづくりの視点

vol.96産学官のトップセールス
財団法人長野県テクノ財団 事務局長
林 宏行

 一気に三段階の格下げを受けたイタリア国債の影響は、価格の下落のみならず担保価値の喪失や欧州金融機関の資金繰りへと波及し、世界経済に大きな不安を与えたままだ。今月4日、ユーロ圏で最大の発行規模を持つイタリア国債の格付け変更についてS&P(スタンダード・アンド・プアーズ)は、イタリア経済の成長力が弱くなっているとの見通しに加え、国内外の経済環境への対応力などをその理由に挙げていた。

 実はひと月前(9月10日~14日)、阿部守一長野県知事と長野県経営者協会、信州大学、テクノ財団等からなる「長野県経済使節団」に参加しイタリアを訪問する機会を得た。
 使節団のミッションは、長野県産のリンゴ「シナノゴールド」の欧州商業栽培許諾に向けたボルツァーノ州訪問と、ナノテクノロジー分野で産学官連携を進めているヴェネト州との経済交流の促進であったが、在日イタリア大使館の計らいで、ヴェネト州大統領府への招待も受けていた。

 

 ヴェネト州の滞在期間は僅か二日。私たちは公式訪問を前に、科学者ガリレオも教壇に立ったというパドヴァ大学や州立産業支援機関「ヴェネトナノテク」の研究開発センター、工作機械のトップメーカーFPTヴェニス、1951年創業のファッションブランドINCOTEXなどを精力的に回っていた。
 そこに突然、州大統領との会談が叶わなくなったとの連絡が入ってきた。イタリア大使館を通じて事情を照会したところ、どうも国の財政問題への対応のため、州大統領あてに国からの招集通知が来たことが要因らしい。

 今年統一150周年のイタリアは、共和制国家ながら中央集権的な自治制度にあると聞いていたが、通訳のジュセピーナ(Giuseppina)さんによれば、財政的な基盤は北部、中部の州に頼るところが大きいともいう。そのうえ今回は、いくつかの州政府のみが招集されており、ヴェネト州の影響力、経済力の大きさを垣間見る出来事ともなった。

 さて、心配していた公式訪問は予定どおり執り行われた。州政府の入るバルビ宮(Palazzo Balbi)は、古典様式からバロック様式に至る時期の堂々たる伝統建造物(1590年完成)であり、玄関は広い運河に面していた。私たちは大運河を水上タクシーで案内され、ヴェネト州旗とイタリア国旗がなびく門をくぐった。

 ローマに赴いたザイア(Luca Zaia)大統領に代わって急きょ挨拶に立ったベルトラーメ(Stefano Beltrame)外交顧問は、「震災に立ち向かう日本人の"絆"に深い感動を覚えた。復興を固く信じている。」と挨拶。国の経済が厳しい時だからこそ、イタリア国民が国内で働き続けられるよう技術革新に注力している旨の説明があった。また、阿部知事との懇談では、ナノテクのみならず自然エネルギーなどの分野で「絆」を深めていくことも約束いただいた。

 

 政府関係者との意見交換の中でことに印象深かったのは、産業施策への姿勢である。技術革新を担当するシモネット(Giorgio Simonetto)長官は、「イタリアは最早(もはや)、お金で企業を誘致することはできない。だからこそ技術やデザインといった「知」のサポートに注力しており、そのためにも若者の教育が大切になる。」と強調、人づくりを担う教育関係者も同席させていた。

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 国家財政が厳しいのは我が国も同様である。地方分権、地域主権とは地域経済が成り立ち、雇用が守れてこそ実現する。その意味で、地域の産学官のトップによる使節団の意義は大きかったと思う。
 私たちがヴェネツィアを離れて僅か一週間後、商工会議所代表者やヴェネツィア大学学長らとともに来日し、東京都内で講演・トップセールスするベルトラーメ外交顧問の姿があった。


「絆」 (使い古しの電子辞書)

「東方見聞録」のマルコ・ポーロが拠点とした街・ヴェネツィアにある「カ・フォスカリ大学」(Università Ca' Foscari Venezia:通称ヴェニス大学)には日本語学科がある。そこでは、東日本大震災に対する数々の支援活動が続けられていた。

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 また、ヴェニス大学では昨年10月、信州大学工学部とMOU(連携協定)が締結されたこともあり、今回の長野県の州政府訪問にあわせて教授陣との懇談会や、阿部守一長野県知事の特別講義(講演)が企画されていた。

 遠藤守信教授(信州大学)に司会進行をしていただいた教授陣との懇談会では、教育や震災復興の話題はもとより、市町村合併など日本の自治制度にまで話が及んだ。彼らは、小泉政権から今日に至るまでの日本の国政や地方自治の動きに詳しく、しかも驚くほどに流暢な日本語であった。
そして、講堂をうめつくした聴衆を前に阿部知事は、歴史ある演壇から、日本の震災復興への取り組みや長野県の主要産業、観光資源などを紹介し、会場からは質問が飛び出すなど大変有意義な講義となった。

 さて翌朝、阿部知事一行をマルコ・ポーロ(ヴェニス)空港へと見送る道すがら、ヴェネツィアに住む通訳のジュセピーナ(Giuseppina:通称ジェシー)さんは、「かつて陸前高田にいたことがあるんです...、」と語り始めた。

 聞けば、ヴェニス大学の日本語学科を卒業して来日を果たしたジェシーさんが、半年間を暮らし、その後の交流を含めてのべ3年の思い出がつまった家々を、あの日の津波は浚っていってしまったのだという。
 間もなく、遠き日本のニュース映像を見たジェシーさんは、オバアチャンの家(大家さん)ともども街が瞬く内にのまれていく様子にショックを受け、しばらく動けなくなってしまったそうだ。(幸いにもオバアチャンは無事だったので、今は時々電話で励ましたりしているらしい。)

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 ジェシーさんには、昨年10月のナノテクイタリー2010への招聘視察団(長野県内のナノテク関連企業と信州大学、テクノ財団から成る視察団が、イタリア経済発展省及びイタリア貿易振興会の支援プログラム(ICE-Veneto Nanotech Program)により招聘された。)や、今年2月のDTF欧州販路開拓ミッションでもお世話になった。

 そして、そのたびにジェシーさんの巧みな言葉使いと産業技術の専門知識に一同感銘を受けていたが、あの日本語は、彼女が今も愛用する使い古しの電子辞書と東北陸前高田で育まれたものだったのだ。
 実は今回のミッションの中でジェシーさんは、「友愛」や「友好」ではなく、「絆(きずな)」という言葉を幾たびも選んだ。
「絆」...離れがたくつなぎとめているもの(大辞林)。それは、彼女の日本の友人たちに対する強い思いだったのかもしれない。

20111019_04.jpg 「これが陸前高田に残る"希望の松"なんです...。」偶然にも私が、ボランティアの際に撮影してあった、携帯に残る一本の松を見せると、通訳のジェシーさんはしばらく我を忘れてじっと見つめたままだった。


【掲載日:2011年10月19日】

林 宏行

財団法人長野県テクノ財団 事務局長

1963年下伊那郡喬木村生まれ。長野県商工部振興課、総務部地方課、市町村TL(課長)、下伊那地方事務所地域政策課長などを経て、2010年4月から現職。

http://www.tech.or.jp/