[コラム]ものづくりの視点

vol.109イタリアの靴
長野県テクノ財団ナノテク国際連携センター所長
若林信一

「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする...」という書き出しで始まる「ユルスナールの靴」は、イタリア文学者、須賀敦子さんの最後の著書でもあった。

  三十年も前のことだが、私は、アメリカ出張の折に、たまたま通りかかった店でイタリア製の靴を買ったことがある。私のような不格好な足にもうまくフィットし、履き心地の良い靴であった。デザインもさることながら造りもしっかりしていて、あのような履き心地の良い靴にはあれ以来出会えないでいる。
 須賀さんも本文中で触れているが、下駄の文化に育ったためだろうか、常に一回り大きな靴をあてがわれる時代の為だったからだろうか、私もいまだに自分の足にぴったりと合う靴に出会えないでいる。

 さて、日本政府が公的資金を投じてまで救済した半導体大手のエルピーダメモリ株式会社の再生が、米国マイクロン・テクノロジーに委ねられることになった。かつて世界を席巻したDRAM(代表的な半導体メモリ)市場から、国内メーカーが姿を消すことになったが、かつてこれを誰が予想しただろうか。
 半導体の製造現場では、技術のみならず品質とコストの両立に向き合わなければならない。DRAMのような先端ラインは設備コストが上がり、資金力があり、数を売り上げるところに寡占化される。エルピーダのケースは、お金と数で負け、行き先も見えぬ細道に入り込んでしまった結果という見方もできる。

 これまで私たちは、時々のベスト・ノウン・メソッド(Best Known Method)を追求してきた。わかりやすく言えば、いつも外部に自らの足にフィットする靴=生産方式を求め続けてきたのだ。トヨタ生産方式、ジャストインタイム(リーン生産方式)、TQC (トータル・クオリティ・コントロール)...など、 現実に私たちは、その時々のベスト・ノウン・メソッドを実践してきた。にもかかわらず、このところ、ボリュームゾーンからの日本企業の撤退が続いている。

 永続性のある企業経営をしていくためには、たとえ好景気にあっても「強いところが危ない」という危機意識が必要だし、自ら進んで変革することが何より必要である。その意味でも日本はいま、自分達が持つ経営資源にフィットした最良の靴とは何なのか、足元を見つめ直す時を迎えているのかもしれない。

 イタリアで暮らし、靴の文化に触れた須賀さんは続けて問う。

「行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。」

 最良の靴とは歩むべき道とともにある。足元を確かなものとし、新たなる道=ビジネスモデルを切り拓いていってほしい。

【掲載日:2012年5月11日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク国際連携センター所長

1949年長野県生れ 新光電気工業㈱にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長を経て2012年4月から現職。博士(工学)
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