[コラム]ものづくりの視点

vol.114「長野県生活10ヵ月を振り返って」~県外からみた長野県~
長野県テクノ財団 メディカル産業支援センター
由佐 史江

 昨年の10月末、松本市の方へ県外から引っ越してまいりました。10ヵ月という中途半端な期間ではありますが、本寄稿を機会に長野県での生活を振り返ります。

 前職は壁を正面にパソコンを睨み続けるデスクワークが主体の仕事。人とのつながりを感じるお仕事に就きたいなあ・・・と、考えていたところ、現職、「公益財団法人長野県テクノ財団 メディカル産業支援センター メディ・ネットコーディネータ」の募集を知りました。「メディ・ネットコーディネータ」という聞きなれない響きに一抹の不安を感じつつも応募し、(どこが決め手だったのか未だに謎ですが)見事?採用していただき、これを機会に松本に引っ越してまいりました。

 引っ越して早々、今までの居住地は、給湯器は「外にあるもの」だったのですが、それが家の中にどっかり存在していることを発見。「冬は給湯器が凍っちゃうぐらい寒いのか?」とびっくり。「要覚悟!」で新生活をスタートしました。が、覚悟を決めた割に、通勤途中に渡る梓川からの冬景色の素晴らしさにうっとりする余裕も見せて、冬は過ぎていきました。一方で、「夏はさぞ涼しかろう」と、大いに期待しておりましたが、この暑さに勝手に裏切られたような気持ち。それでも、夜、四方の山々から涼しい風が流れ込んでくると、日中の暑さも許せてしまう快適さを感じています。

 松本に住民票も移しました。その折「博物館パスポート」というものを頂きました。転入日から1年、市内の色々な博物館に優待していただける、とのこと(素敵ですね)。利用し、色々と勉強させていただいています。中でも、「松本市歴史の里」にある「旧昭和興業製糸場」。そちらで拝見しました映像「製糸場最後の日」を通し、製糸工女のみなさまの仕事風景を知ることができました。この方々が今の長野のみならず日本の生活を支えてくださったのだな、と、今更ながらに感謝です。また、その当時の「製糸工業から精密加工業へ」という思いは、支えていただいたものを次の世代へという願いであり、その流れ、その繋がりの中で、本当に勇気のいる大きなチャレンジであったのであろうと想像されます。そのチャレンジを見事に成功させ、今の「長野県」を実現してきた「長野県」の力強さを感じずにはいられません。

 時が進み、今、もう一度、「ものづくり」の精神を介し、「精密加工業」から次のステップへと進む「チャレンジ」が求められているように思います。グリーンエネルギー、航空宇宙、そしてメディカルといった次世代の領域への繋がりを、公益財団法人長野県テクノ財団はサポートしております。私が所属しますメディカル産業支援センターは、特にメディカルの領域での繋がりに特化した支援活動を展開しています。

 「メディカル」の世界市場は、医療機器だけでも25兆円。世界的な高齢化に伴い、市場が拡大することも見込まれています。また、景気の影響をあまり受けない領域ですので、安定した市場というのも魅力です。しかし薬事法などによる「参入障害の高い管理市場」であることも事実です。当センターではそれらの障害を乗り越えるお手伝いが出来れば、と、活動しております。「メディカル」への参入で何かお困りのことがありましたら、どうぞお気軽にお問合せください。
 私自身も、「県外からみた長野県」という立場で述べることができなくなるぐらい、長野県を理解し、少しでもお役に立てるよう努めてまいりたい、と思います。

【掲載日:2012年8月22日】

由佐 史江

長野県テクノ財団 メディカル産業支援センター

メディ・ネットコーディネータ(公益財団法人長野県テクノ財団メディカル産業支援センター)
自然科学博士。医療系出版会社出身。バイオ系ベンチャーでの研究経験あり。平成23年度より現職。