[コラム]ものづくりの視点

vol.90エクスカーション(Excursion)と「夢の確信」
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
若林信一

 製造現場で偶発的に発生する不良などを「エクスカーション※」(Excursion)と呼ぶ。もともとは「遠足」や「小旅行」を意味する言葉であるが、「脱線」「逸脱」などの意味合いで使われているのだろう。
(※原子炉出力が予定以上に上昇することを「原子炉エクスカーション」などという。)

 現代的な工程管理は、工程能力指数(Cpk:品質、性能保持の観点で許される誤差の範囲、規格幅を示す指数)などを用いて、安定した工程での量産を目指している。計算式などの詳細は省くが、一般的に、Cpk を1.33以上に設定すれば不良率は60ppm(100万個に60個の割合で発生する確率)以下で安定した操業ができると考えられている。
 こうした指標や規格値は、広く受け入れられているもので、購入者側が自分達の工場の安定操業のために部品メーカーなどに強く要求して来るものである。現在の先進的な工場では、どこもこのような思想の下に最良最適な製造ラインの確立が図られている。

 しかし、現実の生産現場では様々なことが起こる。開発段階から最新の注意を払い、確かなデータに基づき確立したラインでも時としてエクスカーションは発生してしまう。
 そして、その要因の多くが、工程設計の管理対象外の事項や人為的な原因によるものだといわれており、大きく分けると、間違った管理や操作ミスが引き起こすケースと、安全意識のゆるみから発生するものがある。
 前者ははっきりと失敗した原因も分かるし、現場の混乱に直面することから深く反省し、二度と起こらないことが多い。しかし、安全意識のゆるみの場合は、時として深刻である。それは、一個人の問題というよりも、「これまで大丈夫だったから、おそらく大丈夫だろう...」といった意識低下が組織の中に徐徐に広がっていて、気付かぬうちに事態を悪くしている場合が多いからだ。

 ところで、1986年1月28日、6人の宇宙飛行士と一人の教師を乗せたスペースシャトルが発射直後に爆発し、米国のみならず世界中が大きな衝撃を受けた。その原因を調べる調査委員会の中に、NASAの面子に配慮する委員会との闘いの末、報告書「付録」として扱われることとなった「スペースシャトル『チャレンジャー号』事故少数派調査報告書」を執筆した一人の科学者がいる。

 彼の名は、R・P・ファインマン(Richard Phillips Feynman,1918-1988)、原子爆弾開発のマンハッタン計画にも参加したノーベル賞物理学者である。ファインマンは、独自に全国を飛び回り、関係する技術者たちと忌憚なく話し合う中で原因を突き止める。
 それは、燃料のガス漏れや「Oリング」浸食という物質的な要因と、飛行スケジュールを守りたいために、工学的に算定される安全率を無理やり低く見積もったことに起因する人為事故という事実であった。

 報告書の中でファインマンは、事故発生の確率を、作業に従事した技術者たちは100分の1と見積もるのに対し、NASAの幹部たちは10万分の1に少なくしていたことを指摘するとともに、300年のあいだ毎日飛行しても1回しか事故が起きないような、そんな「夢の確信」をもたせた要因は何か?と問うている。その上で、資金確保のための政府に対するNASAの完璧さと成功の約束の試みであり、現場の技術者との意思疎通の欠如を示すとも指摘していた。

 モノづくりの現場にあっても、「夢の確信」は付き纏うし、その把握は永遠の課題であるのかもしれない。「少数派調査報告書」においてファインマンは、こう結んでいる。
 「テクノロジーを成功させるためには、広報よりもまず現実を優先すべきである。なぜなら自然を欺くことはできないからである。」

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【掲載日:2011年6月28日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長

1949年長野県生れ 新光電気工業㈱にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。

http://www.tech.or.jp/

vol.89「the Best and the Brightest」(ベスト・アンド・ブライテスト)
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
若林信一

 もっとも輝いて見えた1960年代のアメリカ合衆国の、ケネディとそれを引き継いだジョンソン政権における安全保障政策を担当した閣僚や大統領補佐官たちを「The Best and the Brightest」と呼んだ。それはまた、両政権が、如何にしてベトナム戦争の泥沼に引きずりこまれ、「最良の人たち」が如何に多くの誤りを犯したかを克明に描いたデイヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam, 1934-2007)の著書の名でもあった。
 このごろ、テレビから流れてくる映像を見ながら「最良の人たち」の行動を考えてみたりしている。

 科学技術にも「最良の人たち」の力が必要であるが、かつて、増子曻氏(東京大学名誉教授)が、目先の利害を優先しがちな産学官連携のあり様を「レオロジー現象」や流体特性に例えて指摘されたことがあった。ちょっと外圧を受けると、すぐへなへなと底なし沼的状態に陥る「チキソトロピー技術者」、目先の利害にとらわれて、権力的に硬化する得意技を使う「ダイラタンシー役人」、定理・公理に囚われ周りの流れも感じとれぬコチコチのユークリッド固体学者など...。とても手厳しかったことを覚えている。

 「レオロジー」(Rheology)の「レオ」(rheo)とは、ギリシャ語で「流れ」を意味しており、「物質の変形および流動一般に関する学問」と定義されている。わかりやすく言えば「力のかけ方で流動の仕方が変化する構造を持った流体」の学問である。その分野は非常に幅広い。
 塗料やパンの生地は代表的なレオロジー流体であるし、地震の原因である地核とマントルの動きや、地表で見られる液状化現象は「地球のレオロジー現象」ともいえる。 これらの物質の流動性は、不可思議だ。
 ボールペンのインクは、圧力がかかっている時はなめらかに動き、止めると垂れることなくスッと止まらなければならない。この性質は「チキソトロピー」(Thixotropy)といい、食卓にあるマヨネーズやケチャップも同様の性質をもつ。
 一方、力をこめると固くなる流体現象もある。例えば、適度の水に溶いた片栗粉は掌から流れ落ちるが、握ると硬くなる。この現象は「ダイラタンシー」(Dilatancy)と呼ばれ、小さい力には液体のようにふるまうのに、大きい力には固体のようにふるまう性質を示す。雨に濡れた砂浜を車で軽快に走らせた経験のある方もいると思うが、その砂浜も自然界のダイラタンシー現象なのだ。

 我々は地球というレオロジー(流体)に暮らしている。しかも日本は、いまだ震災の中にあり、本格的な復興の緒も見い出しきれていない。政治家や官僚はもとより、産学官のリーダーたちには「流れ」を的確に読む力、「想定」を超えた発想と社会正義に基づく骨太な実行力が求められるように思う。
 「万物は流転する」が、人びとに希望をもたらす「流れ」を創っていってほしい。ともあれ今は、日本の「The Best and the Brightest」たちを信じるしかないが...。

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【掲載日:2011年6月17日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長

1949年長野県生れ 新光電気工業㈱にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。

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vol.88内向きで、変わりたくない日本(にっぽん)
山岸國耿

先日、東京電力の清水社長が、退任の記者会見をされた。その席上記者からの、「東京電力が変えるべき企業文化は何か・・・」との質問に対し、「(社外の意見に耳を傾けず、)『内向き』の社内論理でいってしまうところがある。」との趣旨のことを述べておられました。このことは、先般の経営危機に直面した日本航空の時も、バブル崩壊時の金融機関にも一面共通するものを感じました。

自動車や電機など世界市場を相手に戦っている外需型企業は、一歩誤ると世界の市場から強制退場を迫られる、日々厳しい経営をしています。
それに比較し、内需型企業や規制に守られている独占的な企業などは、ともすると消費者の目線や変化する企業環境等に敏感に反応することなく、「内向き」な経営になりがちです。 企業経営は、「変化への対応」とよく言われますが、リスクを取って課題を解決し、新しい事業等に挑戦する積極的果敢な行動を常に求められているといえましょう。

一方、先日の日本経済新聞によりますと、ワシントンで「日本の未来」をテーマとする公聴会が開催されました。そこでの話題は、「東日本大震災後、日本が内向きにならないか」と心配する声だった。・・とのことです。

例えば、目覚ましい成長をつづける韓国では、徹底した英語教育や病院カルテの電子化などにみられるように、改革へのスピードが日本より格段に速いと聞きます。
それに比較し、日本の若者は、海外勤務を敬遠するなど、益々「内向き」になってきているとも言われていますし、「日本の常識は、世界の非常識」とも、「パラタゴス化が進む日本」とも言われています。

日本は、経済のみならず社会や政治などのいろいろな面で、仲間同士の「村(むら)」社会の「内向き」な議論に終始し前に進めず、直面する課題解決に多くの時間を費やしているのではないでしょうか。

以前にも述べましたが、「内向きで、変わりたくない日本(にっぽん)」と言われないように、この大震災を好機ととらえて、新しいことに素早く挑戦し「時代の変化を先取りする、雄々しき日本」に変わりたいものです。

【掲載日:2011年6月10日】

山岸國耿


昭和19年上田市生まれ。38年間長野県職員として長野県商工部関係機関に勤務。
長野県工業試験場長を最後に定年退職。その後財団法人長野県テクノ財団に勤務、専務理事を平成22年3月末に退任、
平成22年5月に公益財団法人 HIOKI奨学・緑化基金の監事に就任。平成22年7月に国 の地域活性化伝道師に就任。