[コラム]ものづくりの視点

vol.111「面白がる」
長野県テクノ財団ナノテク国際連携センター所長
若林信一

 「君たちは生まれた時から山ばかり見てきただろう、動かぬ山を。もしあの山が海だとすれば、その向こうで何か新しいことが起こってはいないかと、毎日、気になって仕方が無くなるはずだ。」
 入社した当時、社長がよく話していた「海」の話。すっかり見慣れたはずの信州の山々を前にして、時折ふっと思い出すことがある。
 その頃の会社は国内の需要を受けて事業も経営も発展期に入りかけていたが、社長の目はすでに海外へ向いていた。
 「我々は海外とも競争できる国際商品を目指さなくてはならない。良いものを作って世界が必要とする会社になろう。」
 それが当時の社長の口癖だった。

 高度成長期、ものづくりの現場は面白かった。とりわけ、新製品を開発するために新しい装置を導入して、試作を始めたときの緊張感は忘れられない。大変だ、大変だと言いながらも、やる気は十分、皆気合が入っていた。時には、やりたいことが幾つも重なり、興奮を抱えたまま徹夜明けの帰路についたこともある。
 現場は、雑然としていたが、短い言葉のやり取りでコミュニケーションが取れていた。毎日のように起こる新しい事態にも敏感に反応し、そこで生まれた細かい工夫、アイディアは数えきれない。

 以前、OSソフト Linux(リナックス)の生みの親、リーナス・トーバルズ(Linus Benedict Torvalds)の自伝書「JUST FOR FUN(それがぼくには楽しかったから)」という本を読んだことがある。その中で彼は、「ただ面白かったから夢中になってやっただけだ...」と語っていた。
 この本には、「The Story Of An Accidental Revolutionary"偶発的革命の物語"」という副題が付されているが、自分にとって必要で、楽しいから作ったものが、結果として革命的な変革につながったというのだ。面白がる中で生まれ出るものには、端倪(たんげい)すべからざるものがある。
 ひとから「オタク」だと馬鹿にされようとも、面白ければ止まらないし、可能性を否定することもないだろう。その無償の行為が大きな力を持つこともある。人間の持つ「面白がる」という特質は実に不思議なものなのだ。

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(Helsinki大聖堂にて)

 北欧フィンランド・ヘルシンキの若者が面白がって開発したOS Linuxは、山を越え、海を越え、時空を越えて、今も進化し続けている。


【掲載日:2012年7月13日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク国際連携センター所長

1949年長野県生れ 新光電気工業㈱にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長を経て2012年4月から現職。博士(工学)
http://www.tech.or.jp/

vol.110事業成果は1割にとどまる
山岸國耿

 先日新聞紙上に、2010年に政府が策定した国の「新成長戦略」について、2年経過した今年、政府の国家戦略会議がその政策を評価した結果、「全体の約9割で政策効果を確認できなかった。」との記事が掲載されました。
 民主党政権になって「事業仕分け」が行われ、数多くのムダな事業が指摘され、大きな反響を呼びました。
 更に、大蔵省出身の高橋洋一さんや経済産業省出身の古賀茂明さんなどが、「成功した産業政策等存在しない」や「役人の政策が浅はかになるのは、現場を知らないからだ。実状に即した政策を作るだけの経験も知識もない。」などと著書で辛辣に述べておられます。

 一方で以前にも述べましたが、私が出向していた長野県テクノ財団の設立の理念は、「テクノポリス構想」です。
 これは、昭和58年当時の通産省が、「魅力ある地方都市圏を作るために、産学官が連携して高度技術に立脚した工業開発を進めよう。」とした構想で、全国26地域の開発計画が承認されました。国の他の政策と大きく異なる点は、国からは補助金等の資金的支援がほとんどなく、理念の提案と地域の開発計画の承認などで、それぞれの地域の自主自立性に任せたことです。
 長野県でもこの構想に賛同し、県内多数の経営者の積極的な参加を得て、企業から約21億円という多額の出損を頂き、更に県や市町村の出損も加えた計約58億円を基金として財団を設立して、現在はその利子で運営しています。年間延べ数万人に上る県内企業の技術者等の参加を得て、企業のための技術開発や人材育成等を進め、全国的にも誇れる実績をあげています。 
 この事業は、国からの補助金等に頼ることなく民間主導で運営されており、通産省行政における戦後の大ヒットの一つではないかと思います。

 しかし国の政策をみた時、「国家戦略会議が下した"9割が成果無"」との判定には、強く共感するものがあります。
 特に国の場合、それぞれの政策に巨額の予算措置をしますが、それに見合った成果を上げていない。・・・と思われる事業がみられるのです。

 多額の借金に頼っている予算の現状を鑑みた時、官庁から独立し、多様な意見が反映される「政策評価のための新たな仕組み」が必要と言えましょう。

【掲載日:2012年6月13日】

山岸國耿


昭和19年上田市生まれ。38年間長野県職員として長野県商工部関係機関に勤務。
長野県工業試験場長を最後に定年退職。その後財団法人長野県テクノ財団に勤務、専務理事を平成22年3月末に退任、平成22年5月に公益財団法人 HIOKI奨学・緑化基金の監事に就任。
平成22年7月に国の地域活性化伝道師に就任。

vol.109イタリアの靴
長野県テクノ財団ナノテク国際連携センター所長
若林信一

「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする...」という書き出しで始まる「ユルスナールの靴」は、イタリア文学者、須賀敦子さんの最後の著書でもあった。

  三十年も前のことだが、私は、アメリカ出張の折に、たまたま通りかかった店でイタリア製の靴を買ったことがある。私のような不格好な足にもうまくフィットし、履き心地の良い靴であった。デザインもさることながら造りもしっかりしていて、あのような履き心地の良い靴にはあれ以来出会えないでいる。
 須賀さんも本文中で触れているが、下駄の文化に育ったためだろうか、常に一回り大きな靴をあてがわれる時代の為だったからだろうか、私もいまだに自分の足にぴったりと合う靴に出会えないでいる。

 さて、日本政府が公的資金を投じてまで救済した半導体大手のエルピーダメモリ株式会社の再生が、米国マイクロン・テクノロジーに委ねられることになった。かつて世界を席巻したDRAM(代表的な半導体メモリ)市場から、国内メーカーが姿を消すことになったが、かつてこれを誰が予想しただろうか。
 半導体の製造現場では、技術のみならず品質とコストの両立に向き合わなければならない。DRAMのような先端ラインは設備コストが上がり、資金力があり、数を売り上げるところに寡占化される。エルピーダのケースは、お金と数で負け、行き先も見えぬ細道に入り込んでしまった結果という見方もできる。

 これまで私たちは、時々のベスト・ノウン・メソッド(Best Known Method)を追求してきた。わかりやすく言えば、いつも外部に自らの足にフィットする靴=生産方式を求め続けてきたのだ。トヨタ生産方式、ジャストインタイム(リーン生産方式)、TQC (トータル・クオリティ・コントロール)...など、 現実に私たちは、その時々のベスト・ノウン・メソッドを実践してきた。にもかかわらず、このところ、ボリュームゾーンからの日本企業の撤退が続いている。

 永続性のある企業経営をしていくためには、たとえ好景気にあっても「強いところが危ない」という危機意識が必要だし、自ら進んで変革することが何より必要である。その意味でも日本はいま、自分達が持つ経営資源にフィットした最良の靴とは何なのか、足元を見つめ直す時を迎えているのかもしれない。

 イタリアで暮らし、靴の文化に触れた須賀さんは続けて問う。

「行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。」

 最良の靴とは歩むべき道とともにある。足元を確かなものとし、新たなる道=ビジネスモデルを切り拓いていってほしい。

【掲載日:2012年5月11日】

若林信一

長野県テクノ財団ナノテク国際連携センター所長

1949年長野県生れ 新光電気工業㈱にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長を経て2012年4月から現職。博士(工学)
http://www.tech.or.jp/