[サイプラススペシャル]31 若者を魅了する「メイドイン長野」ジーンズ 値引きはしない、通販では売らない

長野県千曲市

フラットヘッド

あえて「国内生産」 こだわりの「メイドイン長野」
妥協しないものづくりが高付加価値商品を作り上げる

 かつて若者ファッションの代名詞だったジーンズは、いまや誰もが一本は持ち、老若男女問わず着用されるファッションの定番となった。そんなジーンズを中心としたものづくりで、多くの若者の支持を集めるこだわりの「メイドイン長野」がある。
 「値引きはしない、通販では売らない」にも関わらず、全国で販売され、海外にも多くのファンを抱えるブランドに成長したTHE FLATHEAD(フラットヘッド)だ。

フラットヘッドを生んだ「元・ワル」社長

2万円以上のジーンズが飛ぶように売れる

flat-head03.jpg 普段着としてのデニムパンツの中心価格は、数千円から1万円程度。しかし、フラットヘッドの商品は2万円以上という通常の2倍~10倍の値段にもかかわらず、飛ぶように売れる。

 素材や製法にこだわった商品が人気を博し、代官山や自由が丘をはじめ18の直営店の他、専門店など100店以上に商品を卸しており、北海道から沖縄まで販路は広がっている。

 さらに国内市場にとどまらず、イギリスや韓国、北京・香港・サンフランシスコなど海外でも大きな反響を呼んでいる。サンフランシスコのデニムショップでは、小林昌良社長(50)をゲストにしたイベントが開催され「私のサインを求めて、行列までできてしまったんです」と、社長自身も驚く熱狂ぶりだった。国内外の著名人も愛用し、海外メディアからも取材を受けるという。

好きなことをやらせたら誰にも負けない

flat-head04.jpg 世界の若者を魅了するフラットヘッドが、自社企画のブランド製造を始めたのは1996年。わずか10年で「メイドイン長野」のジーンズは世界ブランドに成長した。

 今でこそ年商17億円を稼ぐ企業トップの小林社長だが、「高校時代はオートバイに乗って暴れていました」という「元・ワル」だった。サクセスストーリーの原点にあるのは「好きなことをやらせたら誰にも負けない」という社長の熱意だ。研究熱心・努力家である小林社長の成功の軌跡は興味深い。

小林社長の半生は「波乱万丈」

flat-head05.jpg 肉体的ハンデがありながらも「中学時代に水泳で全国大会に出場した」経験を持つ。「背が小さく線が細いのは不利でした。しかし、当時はまだ珍しいビデオテープでプロの泳ぎを研究したり、マッチ棒を指の間に挟み、水かきに適した手のひらにするよう努力したりしたものです」。この熱心さは、今のジーンズ作りにも生かされている。

 高校を中退後、カーレーサーを目指すも「レースにはお金が必要。サラリーマンでは無理なので、二十歳で飲食店を開きポルシェを乗りまわせるまでに成功した」小林社長だが、バブル期の拡大路線が失敗、「1千500万円以上の借金を抱えた」。

flat-head06.jpg しかし「とにかく返済のため」はじめた保険セールスで4年足らずで借金を完済すると、1993年には屋代駅前に古着店を開く。「小学生のころからリーバイスなど『舶来』ジーンズに憧れがありました。小遣いを貯めて買ったり、自分で色落ちを研究したり...」。転身の理由は単純に「好きなことだから」だったのだ。

 天賦の行動力・決断力は大きい。「高校のころはほとんど勉強しなかった」小林社長だが、30代に入ってから独学で英語を習得、日本には流通していない「よりよいジーンズをもとめて単身アメリカに買い付けにも行きました」。

 

小売業から製造メーカーへ

100年以上の歴史をもつジーンズ

 フラットヘッドが自らジーンズ製造を始めたきっかけを語る前に、簡単にジーンズ市場全体を説明しよう。
 100年以上の歴史をもつジーンズは、1870年のゴールドラッシュに沸くアメリカで男たちの作業時にはく頑丈なズボンとして誕生。1950年代には、映画『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンが着用していたことから人気に火がつき、ファッションとして世界中の若者に普及した。

flat-head07.jpg 今も昔もジーンズの代名詞は「リーバイス」。ジーンズの生みの親である米国リーバイス社だ。このリーバイス社が、特に50年代に製造したジーンズは「ビンテージ」と呼ばれ、古着ショップなどでは10万円を超える高値で取引されることも珍しくない。

 もともと高級ワインの代名詞である「ビンテージ」という言葉が使われるように、ジーンズは他の衣料品と比べると非常に特殊だ。「ビンテージ・ジーンズ」は、製造年代や色落ちの度合いなどによって価値が決まり数万円~数十万円で取引される。中古品というより、一種のアンティーク(骨董品)に近い。

究極の「顧客志向」のものづくり

  flat-head09.jpg 時代も味方した。
  小林社長が古着屋を始めた1990年代は、リーバイス社の代表的なジーンズ「リーバイス501」の復刻版が人気を集めるなど、ビンテージがブームとなっていた。古着屋を始めた小林社長が本場アメリカにまで出向いたものの、社長の琴線に触れる「かっこいい」ジーンズにはなかなか出会えなかったという。「高校生を中心としたお客様や、本当に自分が欲しいジーンズを作ろうと思った」のが、小売からメーカーへの転回のきっかけだった。

 自分が欲しいと思う商品を自らの手で作る。「作り手主導」のものづくりに見えなくもないが、「ジーンズショップ店長=熱狂的な顧客」と考えると、フラットヘッドの商品は究極の「顧客志向」そのものだった。

「ニッチ市場」へ「高付加価値」商品を提供

flat-head11.jpg ひとことで小売から製造への業態変化といっても、簡単なものではない。群雄割拠のジーンズ市場でひしめく大手と競合になる。

 「ものづくり」の視点で見た場合のフラットヘッドの成功要因は、価格での真っ向勝負を避け、商品の良さ・こだわりが分かる人だけに売っていく「ニッチ(すきま)市場」をターゲットとした「高付加価値」戦略だった。

 100年以上の歴史がある米国文化を代表する企業に対し、フラットヘッドは小粒な新参者。しかも、2万円以上というかなり高めの値段を設定している。代表的なメーカーは、米国リーバイス社のほか、国産メーカーとしてはエドウィンなどが有名で、1万円前後の商品を中心に大衆向けの商品を開発・販売している。また、3000円~5000円の低コスト商品を投入し一気に普及したのがユニクロだ。  

flat-head12.jpg クルマにたとえるなら、リーバイスやエドウィンは大衆車メーカーのトヨタや日産、ユニクロは軽自動車中心のスズキといったところ。フラットヘッドを同じくクルマにたとえるなら、富山県にあるスーパーカー専門メーカー・光岡自動車だ。(ちなみに、光岡が手がける受注生産のスーパーカー「大蛇(オロチ)」の価格は約1000万円で、世界中に熱狂的ファンがいる。)

 

栄華を極めた50年代ファッションへの憧れ

アメリカ黄金時代のジーンズを現代に

flat-head08.jpg フラットヘッドのものづくりのコンセプトは、1950年代の「古き良きアメリカ」。「中身よりも外見にこだわったコカコーラのビンひとつとっても、『贅沢なものづくり』に美学を感じる」と小林社長は言う。「舶来モノのジーンズに憧れ」「単純にかっこいい」という社長の幼いころからの夢を具現化したのが、50年代のジーンズだった。

 単なる懐古主義ではなく、たとえば主力商品のジーンズは「デザインは50年代、染色技術は40年代、タテ落ち(色模様)は60年代など、各時代一番かっこいい要素を集め」作っている。
 また、腰の小さい現代人の体系にあわせ、股から腰までの「股上(またがみ)」を短くするなど、過去のアメリカンテイストを継承しながら、現在の技術エッセンスを見事に融合させたのも人気の秘訣だ。

自分たちが思い描くジーンズをつくるために

flat-head13.jpg 「究極のジーンズ」を目指すフラットヘッドのこだわりは、尋常でない。生地から縫い糸まで世界中から探し出し、さらに裁縫のために「世界に数台しか残っていない」ミシンまで入手した。

 主力モデルの仕様は「通常8番糸のバックヨークを、強度を高めるためにさらに太い6番糸を使い、生地も14.5オンスデニムを使用」「はき込むごとにあめ色に変化する山羊革パッチ」「独特のヒゲやアタリを出すために24回前後染色を行う」...一般人が聞けば、まるで外国語のような内容だが、ファンにとっては「涙モノ」の「一本」を仕上げている。

  こうした素材を加工するのも一筋縄ではいかない。こだわって集めた、厚いデニム生地や太い糸を扱う特殊な技術は、どこの縫製業者でもできるわけではない。たとえ縫えたとしても、小林社長の求める高い質での仕上がりには困難が多かった。

 「はじめは断られました。どこも『ここでしかできない』という業者さんばかりです」全国から探し出したという30以上の事業所で1本1本加工、製造が行われている。

価値観を共有できるお客様へ

flat-head14.jpg こだわりのものづくりは、ジーンズから派生し、Tシャツやジャンパー、皮製の小物へ展開している。職人の手によって作られるTシャツは1着7000~1万円、レザージャケットは15万~30万円の商品もある。

flat-head15.jpg 「ニッチ市場」への「高付加価値」商品は、小林社長がジーンズに注目したからこその成功だった。そしてフラットヘッドのファンへ、ジーンズ以外にも「こだわり商品」を販売する戦略が奏功している。モットーは「値引きと通販はしない」。価値観を共有できるユーザーのみをお客様と考えるブランド戦略も明確だ。

あえて「メイドイン長野」

長野だから、感性は磨かれる

  flat-head16.jpg 長野市から、しなの鉄道(旧信越本線)で南下すること40分。千曲市・戸倉駅前の商店街近くにフラットヘッドの本社がある。

 大きくせりだした五里ヶ峰の優しい緑と、千曲川の清流に挟まれた事務所の窓からは爽やかな風が差し込み、その風は畑の麦の若葉を揺らしていた。

  フラットヘッドは、首都圏を中心に全国展開する直営店はもちろん、縫製会社も全国各地に点在する。何より流行に左右され、情報発信が求められるファッション分野は、大都市に集中する傾向が強い。

  しかし小林社長のこだわりは「メイドイン長野」。

 「長野県、それもこの地だからいいんです」という。「どこにいたってイイものはできます。むしろ、自然が近いところにある長野だから感性が磨かれます」。趣味はドライブ。愛車のハンドルを握れば、風が感じられる。「山があり川があり、この風景が原点」小林社長の顔もきらきらと光る。

「こだわり」が集まったものづくり

  flat-head18.jpg 素材選びから、デザイン、ミーティングの他、ジーンズの修理も千曲市の事務所内で行われる。印象的だったのは、手仕事の現場を支える若いスタッフたち。

 「会社のこだわりに惹かれた」「アメカジ(アメリカン・カジュアル)スタイルが好き」自社製品を愛用するスタイルからも、全員がフラットヘッドを愛していることが伝わってきた。

 小林社長を含め、フラットヘッドを作り上げるスタッフひとりひとりが、職人でありながら、趣味を仕事にした幸福な人々という印象を受ける。「こだわり」が集まったものづくりの現場、作り上げる喜びから生まれる「ものづくり」こそ、多くのファンを魅了する原点にあるのかも知れない。

【取材日:2009年4月30日】

企業データ

株式会社 フラットヘッド
長野県千曲市上徳間3-1  TEL:026-275-6666
http://www.flat-head.com/