[サイプラススペシャル]53 この仕事は続けなければならない 家具づくりで伝える思想

長野県松本市

松本民芸家具

「BAEMS(ビームス)」というセレクトショップをご存知だろうか。若者層をターゲットに、衣服にとどまらず、生活全般に関わる商品を、「実(じつ)を持って『セレクト』し、提供する」という理念を掲げ、ネットショップの展開も積極的な企業だ。このBAEMSが09年9月から、松本民芸家具の取扱を始めた。松本市で昭和23年に創業、一貫して国産材にこだわり、手作業で作る松本民芸家具が、時代に新しい販売チャンネルを持った。65年の技と想いに、今注目が集まっている。

家具のある空間を味わう

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 JR松本駅から、松本城に向かって10分ほど歩くと、中町通りがある。洋風建築、土蔵づくりの建物が並び、市内でも、歴史を感じさせる一角、ここに、松本民芸家具の中央民芸ショールームがある。4メートルほどの間口だが、中にはいると、店内の奥行きは深く、並んでいる数々の家具の出迎えが、心地よい。観光客の姿も多い。展示された椅子やテーブルに、そっと手を触れる人もいる。池田素民常務のお話では、リピーターも多く、繁忙期は1日300人ものお客様が見えるそうで、「ああこれが松本民芸家具なんですね」と「松本」を象徴するような空間を味わっていく姿もあるという。

 

松本家具から松本民芸家具へ

 松本民芸家具の創業は第2次世界大戦後だが、松本には、地場産業としての松本家具の長い歴史がある。松本城築城の時代から、根付いている建具や大工仕事をはじめ、飛騨高山からも来たという腕のいい木工職人がここ松本には多く住んでいた。山に囲まれ、木材が豊富に集まること、南から北へ風が吹き、木材の乾燥には適した地形であることなど、条件に恵まれた松本は、江戸、明治、大正と、全国屈指の家具の産地であった。しかし、第2次世界大戦を経て、戦後の混乱期には、職人たちは仕事もなく、松本家具は、衰退の一途をたどっていった。
 その荒廃した中で、松本民芸家具の創業者、池田三四郎は、「用の美」を唱え、民芸運動を展開していた柳宗悦と出合った。「民芸」とは民衆的芸術を縮めた言葉である。庶民の生活にある実用性を尊び、素朴な美しさを愛する柳宗悦の「日本民芸運動」の思想は、敗戦後の心の荒廃をなんとかしたいと考える池田三四郎を後押しした。柳宗悦は、松本家具作りの技術は伝統的に積み重ねてきた人々の英知の力があること、この火を消さずに後世に伝え、そこから生まれる心豊かな生活こそが、人が健康に生きていく道しるべとなるのだと、池田を励ましたという。松本民芸家具は松本における戦後の産業復興であるとともに、「日本民芸運動」の確かなひとつの実践の形であった。

看板は3つの椅子

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 家具の製作は、中央民芸ショールームから少し離れた住宅街にある工場で、行われている。建物は木造2階建て、駐車場に面した2階の壁に、木製の椅子が3つぶら下がっていた。風雨にさらされて白茶けている姿を「池田三四郎が掛けた看板の代わり」と説明してくれた池田素民常務の声に、この椅子と共有した時間の中身を感じる。


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 入り口には、木材の乾燥所がある。場所によっては、風はもちろん雨も吹き込みそうな建物だ。積まれたり、立てかけられたり、家具の材料であるミズメザクラの板材が出番を待っている。乾燥は、厚さ1分(およそ3mm)当たり1ヶ月という野外での自然乾燥から始まる。最低でも1年以上が必要で、それがすむと、更に矯正のために人工乾燥をおこなうそうだ。加工にはいる1ヶ月前にはシーズニングといって家具として使用する大気の湿度にあわせる工程もある。水分が8から10%になって、ようやく家具の素材として工場に運び込まれるのだ。
 ミズメザクラは別名「梓」という。「梓弓」の梓だ。この木は、針葉樹と違って山中に点在しており、林業の衰退とともに、入手は困難になってきている。木質は硬く、加工も楽ではないが、木目が美しく、昔から、長年使う家具には適しているといわれている木だ。「四季のあるところに育った木は質がいい。だから、四季のある日本で使われる家具に国産のミズメザクラを使う」。「木を選ぶ」ここからが家具作り。しかし、やっと手に入れた木材の中には、この乾燥中に、裂け目が入り、使えなくなるものもあるという。
matsumin04.jpg  現在、定番といわれる家具の種類は、ウィンザーチェアやラッシチェアを始め、800種、それに関連した家具をあわせると2000種類にものぼるという。また、全体の4割以上が個別の注文を受けて製作している製品のため、1972年には、松本平に散在する協力工場を含めた松本民芸工芸共同組合が作られた。材料を共同で購入し、製品の質や量の安定供給も可能になった。


「指のセンサー」が決める

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 作業工程の流れに沿って、工場を歩く。まずは、設計室である。膨大な紙の資料に圧倒された。出入り口を除くすべての壁が下から上まで紙で埋まっている。まるで古本屋の一角にいるような室内で、「用の美」を追求する理念が設計図となる。
 池田常務は、「松本民芸家具の木工技術は、特徴的なものはありません」と語る。「建築から発展しているので、組みの部分を外側から見えないようにしているくらい。ただ 裏山の木、山の神様の材料で作っているという作り手の思いはあります。」
matsumin08.jpg  木枠の戸をあけて、工場に入る。天井からは、大きさも形も様々な曲木(椅子のアームや背の部分に使う楢材を曲げたもの)がぎっしりとつるされている。工程は、まず木取りから。乾燥した板を、機械を使って大枠の裁断をする。機械作業が中心だ。適した材料を選び、板から原型を切り出していく。「手作りといっても、全く機械を使わないわけではありません。機械に使われないことが大事です」と池田常務。手のひらで材料を確認しながら「切る」「曲げる」「削る」の作業が続く。そして組み立て。十分な乾燥やシーズニングを経ても、ここで使用している木は、無垢材、つまり生きている木、呼吸している材料だ。湿気の多い日に引き出しが動かない箪笥はない。使っているテーブルの天板がゆがむことはない。わずかな狂いも、将来にわたって狂いをおこさせる可能性も見逃さない組立作業。そして鉋がけから塗装仕上げ。松本民芸家具の特徴がはっきり見えてくる。鉋は百種類はあるという。作る家具の大きさや形によっては、なければ道具を作り出す。微妙な丸み、厚さ、太さは、残念ながら、設計図には示されていない。
matsumin09.jpg「手をかけすぎるといやらしさがでる。しかし、手をかけないと冷たさが残る。」そこに職人の腕がある。
 椅子の価値は、座った時に体が「いい」と感じる、座り心地できまる。作者や会社の名前ではない、職人がつくる日用品だからこそ。そこには、人間工学ではなく、「指のセンサー」が作り出す「美」がある。 松本民芸家具の色は、毎日の使用に耐えるように、生地ではなく拭漆(ふきうるし=漆を薄めずに刷毛で塗ること)かラッカー仕上げだ。どちらも手塗りで、8回以上も重ね塗りされる。この色は、池田常務によれば「いろりの炭を雑巾がけをしたような」日本人としてDNAの中に刷り込まれている色なんだそうだ。
 最後は発送。様々な形の家具をお客様に届けるために梱包し、発送する。この部分は仕事を始めて間もない若い人が担当している。家具の形と大きさ、種類を体で覚える一番いい仕事なのだそうだ。

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作り手も大切、値引きは出来ない

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 松本民芸家具の販売店は、デパートも含め全国で40店舗である。個人のお客様だけではなく、松本市内をはじめ、全国の旅館、レストラン、美術館、幼稚園などでも使われている。現在の生活に合った家具もつくり、プレゼンテーションや展示会も行い、販売にも力を入れる。しかし、値段は崩さない。理由がある。「昨日買った人も今日買った人も同じお客様。同じ商品を割り引いて売るのは失礼である。」「材料費・職人さんの手間賃・営業経費を考えた真っ当な値段の商品だから、値引きは出来ない。生き残っていくために、作り手も大切に売っていきたい。」
 ものを選ぶのが厳しい時代になってはいるが、この考え方に共感する消費者も増えていると池田常務は語る。「ブランドでもない、値段でもない。自分の目で選ぶ人が、特に、若い世代に増えている。こんなエピソードをあります。若いご夫婦が、テーブルを買いにやってきた。お話を聞くと、自分の子供が大きくなった時、家族を思い出す、家族ともに過ごした時間を幸福に思い出すテーブルを購入したい。お金はないけれど、妥協はしたくない。だから考えて考えて、買いにきましたと。家具は使う人が育てるものです。」「家具は、日常生活品である以上、時に壊れ、痛み、修理が必要になります。壊れた家具の修理も引き受けます。だからこの仕事は続けなければならないのです。」

 壊れた椅子は修理されて、使う人のもとに帰り、使い続けられる。命ある木を材にしている厳しさを秘め、木に家具として新しい命を与え続ける技こそが、松本民芸家具の姿である。

【取材日:2009年10月29日】

企業データ

株式会社松本民芸家具
長野県松本市中央4-7-5 TEL:0263-32-1326
http://matsumin.com/