長野県佐久市
日本金属化工所
「世の中に必要な」めっき開発を続ける
研究するのは“売れるモノ”
大企業を連想させる社名だが、日本金属化工所は従業員18人の“どこにでもある”中小企業。専門は「表面加工」と呼ばれるめっきで、仕事は地元にある製造工場からの依頼が中心だ。
しかし、1939年の創業から70年わたり企業活動を続けてきた業暦があり、地道に続ける研究開発から、表面加工の常識を変える“どこにもない”発明が、小さな町工場から生まれるかも知れない。
「めっきは'黒子'なんです。」
日本金属化工所の荻原良之社長(68)は、自らの仕事を「主役ではない」と話し始めた。
部品表面を美しく仕上げたり、さび止めなど新しい機能を付加するめっきは、ものづくりの最終工程だ。
荻原社長は続ける。「私たちの仕事は'役者'として舞台に出るものではない。あくまで黒子の役。'台本'はお客様である依頼主。」
設計という名の"台本"から金型をつくり、そこから量産される部品が"主役"であるとするなら、最後に持ち込まれるめっきは"黒子"。荻原社長の言葉を借りると「サポート・インダストリー」。つまり「補助産業」だ。
従業員は、社長も含め18人。売上は1億5千から8千万円。
数字を見れば典型的な中小。しかし、企業活動とは決して大きさばかりを求めるものではない。「事業を永続させること」が企業の命題とするなら、創業から70年を迎えたこの会社は、70年という数字だけでも十分に"凄いものづくり企業"だ。
しかしなぜ小さな町工場でありながら、戦後から石油危機、バブル崩壊、そして今回の世界金融危機と、いくつもの時代の荒波を乗り越えることができたのか。謎を解く鍵は、「売れるものにこだわった」研究開発にあった。
例えるなら、主役に負けない努力をする"黒子"。
1939年に荻原社長の実父である先代社長が東京中野で立ち上げた日本金属化工所は、終戦間際の1945年5月に長野県佐久市に疎開、以来めっき一筋で歩んできた。
「ここまでやって来られたのは、地元に可愛がられたことと、『何でもござれ』で取り組んできた結果」と荻原社長が語るように、敗戦直後の仕事がない時期は、地元からの仕事を何でも受けてきた。
満足に原料を仕入れることのできない時代、めっき液を自分で調合し「鉄もアルミも、自転車のさび止めからミシンの部品まで、材料も形状も種類もいろいろなめっきをしました。」
こうした技術の蓄積によって、研究開発型の企業風土が作りあげられていった。時計から精密機械、IT機器、自動車。時代とともに主役は変わったが、精進の甲斐あって"黒子"は主役たちを支え続けてきた。
日本金属化工所の特筆すべき技術のひとつが、チタンへの白金めっきだ。
軽くて丈夫なチタンは、汚れにくくさびにくい耐食性にも優れ、戦闘機やロケット、身近な分野ではゴルフクラブや腕時計などに用いられる。しかし、優れた耐食性を有するということは、裏返せば、表面加工が非常に難しいこと意味する。
「チタンへのめっきはすぐに剥げてしまいます。どうすれば剥げないめっきができるのか、開発に3年かかりました。」
依頼を受けたのが2000年。以来21世紀の日本金属化工所は、チタンめっきを中心に開発を続ける。
はたして、チタンへのメッキはどうして可能になったのか?
「詳しくは企業秘密ですが、」と前置きの後、荻原社長は話し始めた。「'アンカー'と呼ばれる加工で、簡単に言うと一度チタンの表面を傷つけるんです。」
タイヤのパンク修理の際、穴をふさぐゴムシールが剥がれにくくするためにあえてやすりでゴムの表面を傷つけるように、細かな傷が、船のいかり(アンカー)の働きをし、表面のめっきが剥がれ落ちるのを防ぐという加工だ。
「傷」といっても、タイヤチューブのように物理的に傷つけるのではなく、特殊な薬品を用いた化学処理が施される。
前処理、めっき、後工程と大きく3つの工程に分かれる表面加工だが、「前処理で90パーセント決まる」という。チタンへのめっきを可能にした'アンカー'同様、めっきを施す前に、どんな処理をするのかが重要だ。
「めっきで大事なのは、組み合わせです。金属の性質を知らないとダメ。」と、荻原社長は言う。材料にあった加工を施すことができなければ、期待通りのめっきをすることができない。
チタンへのめっきが可能になったのは、「金属の性質」を知りつくしたうえで、数多の薬品や加工処理の「組み合わせ」による成果だった。
日本金属化工所がこだわるモットーは「売れるものを研究しよう」。
チタンへの白金めっきは、もともと大手ゴルフクラブメーカーからの依頼だった。それ以降の開発も、光学メーカーや化学・薬品メーカーなど大手企業からの依頼や、大学との共同研究が中心だ。
めっき工場とは別棟の研究開発室。
緑や黄色の液体が入ったビーカーや試験管、ぶ厚い専門書、実験過程のメモ書きなどが所狭しと並ぶ10畳ほどの部屋は、大学の研究室を思い出させる。ここにいる20代と30代の2人が、日々新たなめっきを研究する。
しかし、彼らは開発に専念しているわけではない。「あえて、現場に立たせています」と荻原社長。「研究室でできてもそれは'売れる技術'ではない。現場でできるのが本当の'売れる技術'。」
「経験からのひらめきと、実験を続ける根気です。」 研究開発で大事なものは何ですか?という問いに、荻原社長は笑顔で答えた。「研究に、会社の規模や場所は関係ありません。」
チタンへの白金めっきは成功したが、残念ながら景気動向の影響もあり商品化は見送られた。しかしチタンへのめっきは、まさに"これから"の技術。精錬や加工が難しく、まだまだ高価なチタンだが、今後の技術開発によってクルマなどにも使われるようになれば、めっきの需要も増える。「'売れるもの'というのは、'世の中に必要とされるもの'です。」
70年続く"どこにでもある"小さなめっき工場の「ひらめき」と「根気」から、世界中"どこにもない"新しい技術が生まれるかもしれない。
株式会社 日本金属化工所
長野県佐久市塩名田1068 TEL:0267-58-4331
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