長野県坂城町
力石化工
長野県内でも“ものづくりの町”“テクノの町”として知られている埴科郡坂城町、人口1万6千人の町に大小300を超える企業が集まるエリアだ。第二次世界大戦後、工業の町として長野県の製造業をリードしてきた坂城町の歩みを、“めっき加工”の分野で支えてきたのが力石化工株式会社。取材は敷地内に祭られた稲荷神社の初午祭の日、「今本当にめっきが面白いと思います。」3代目社長佐藤洋子氏はめっきにかける意気込みを語った。
鉄などの金属やプラスチックの表面に、銅やニッケルをめっきすることにより、材料の表面特性を高機能化させたり、外観を美しく飾る表面処理は、様々な種類と方法がある。力石化工では硬質クロムめっき・無電解ニッケルめっき・亜鉛めっき・黒染めやリューブライトに代表される化成処理・キリンス処理など多種多様な表面処理を手掛け、小ロットから量産物まで対応している。
また、近頃では自分だけのバイクや車をカストマイズするため、部品をめっきをして欲しいという個人の問い合わせや、オブジェなど芸術分野のめっきを頼まれることもあるそうだ。
工場は「技術が増える度に建て増しを重ねてきた。」とのことだが、創業当時の建屋もまだまだ現役だ。
「目指すのは周辺のお客様に使ってもらえるめっき加工の何でも屋さん。どんなに大きな量販店が出来ても、小回りのきく町の電気屋さんはなくなりませんから。」佐藤社長の言葉を裏付けるように、力石化工の敷地内には、ひっきりなしに車が出入りしている。ドアに『○○製作所』『△△工業』と書かれた軽自動車や幌をかけたトラックも多い。小さな段ボール箱を抱え急ぎ足で、門を出て行く人もいる。聞けば取引先は千曲市から佐久方面にかけて300社を超えるという。工場内に置かれた色とりどりの通い箱にも坂城町内だけではなく上田市や千曲市にある企業名も見えた。
「めっきはものづくりの最終工程、全力でお客様の納期に応える努力をしています。」
力石化工の初代は大正時代に坂城町の駅前で自転車店を開業、運搬手段が自転車・リヤカーという時代にあって、ここは、人と物と情報が集まる店でもあったという。
戦後、坂城町に疎開してきた工場の社長から、頼まれたのが、ラジオの真空管の部品の製造。初代は、どこかに職人はいないか、機械はどうするといった地域の情報を収集し、プレス機とプレス職人を調達して、力石化工を設立した。次に、求められたのはその部品に「ニッケルめっき」をつけること。戦後の混乱期で、めっき作業が出来るところがなく困っていた時代である。そこに電気の知識を持つ現会長が復員、苦労して整流器などすべてが手作りのめっき装置を考案し、1948年にニッケルめっき加工を開始した。
次に持ち込まれたのが、プラスチック用金型につける硬質クロムめっき。専門の工場が県内にはなく、東京の工場に依頼していたものを、何とか坂城でできないかという強い地元の要請である。
硬質クロムめっきそのものが、日本では比較的歴史が浅く、難しい分野の技術で、「私の父、現会長は本当に苦労したそうです。」佐藤社長も知らない力石化工の草創期である。
東京のめっき工場を見学したり、治具を研究したりと、試行錯誤を重ねてようやく硬質クロムめっき技術を確立したという。その後も、様々なめっき加工の仕事が持ち込まれ、加工技術を増やし、それが取引先を拡大させ、会社の、ひいては坂城の発展につながっていった。力石化工の技術は、常に現場で磨かれてきた。
地元のニーズと自社の強みのマッチング、『先走らず、しかし、遅れない』これが力石化工の現在のスタンスだ。「常にアンテナを高く、お客様や地元のニーズを考えながらやっていけば、生きる道はあるはずです。」
複雑な形状の部品に硬質クロムめっきをつけたり、「手付け」と呼ばれるまさに職人の技・匠のめっき作業も健在だ。一方では、ニムフロンめっき・ナノ粒子の複合めっきなどの新分野にも積極的に取り組む。
佐藤社長は、「会社は経営者だけのものではなく、社員みんなとやっていくもの。男性とはちょっと違う視点があるのではと考えています。」と語る。
2008年1月に竣工した工場はその意味でも「理想のめっき工場」だ。まず一つは、二階に生産ラインをつくったこと。各工程で生じる様々な物質を含む廃水の処理は、万が一にもトラブルが発生すれば周囲の環境にも大きなダメージを与えかねない。二階の工場ならば、排水の地下浸透は絶対にない。
二つ目は、その二階にある生産ラインだ。階段を上って工場に入る。天井近くの窓から光が入る明るく清潔なフロアが広がる。空調も完備され、検査機器・実験設備も充実しており、これまでのめっき工場とは一線を画している。しかも、生産ラインにかかわる従業員はほんの数名。徹底した省力化が、低コストを実現する。
めっき処理に欠かせない水。作業工程だけではなくめっきの品質にも深くかかわる。例えば無電解ニッケルめっき、被膜の厚さの公差(許容範囲)は2~3ミクロン以下と指定がくる。ものによってはプラスマイナス1ミクロンが求められる。使う水も、水道水では製品にカルキの乾燥しみが出ると指摘を受ける。少し前まで使用する水は地下水でよかったものが水道水に、更には純水の使用が条件となる。重要保安部品に位置づけられている自動車の部品は仕様に合致していないと出荷できないどころか、場合によっては素材の弁償までしなければならないのだ。「水はめっきの生命線なのです。」現場の責任をずしりと感じる言葉だ。
今、力石化工では『ものづくり中小企業製品開発等支援補助金』を得て、工場内のめっき処理した水洗水に含まれる金属や不純物を取り除き、その水を再利用するという研究に取り組んでいる。工場内の一角に置かれた実験装置で、実験が続く。実用化にはまだまだ課題は多いが、このシステムが完成し、実用化されれば工業用排水による環境負荷は大幅に低減される。将来を見据え、「会社の責任として環境を考える良いきっかけになった」と佐藤社長は前向きだ。
2004年に社長に就任した佐藤社長。技術面で全幅の信頼を置く中嶋常務とともに力をいれているのが人材育成、技術の継承である。
社員に対しては、外部講師を招いてめっき技術の講習会を行ったり、安全管理の意識啓発・各種の資格取得を進めている。また、地域の若者に対しても、「古くて新しいめっき技術の面白さ」を発信し、伝えたいと、インターンシップを受け入れたり、今年から始まる坂城高校「ものづくり講座」への参加を決めるなど、意欲的だ。
「めっきはつけばいいというものではないのです。」機械の精度や設備に負う時代になっても経験や五感がものをいうのが匠の技。「ウチには職人の技があります。」テーブルの上にはプレスの絞り加工でできた円筒形の内径に硬質クロムめっきを施した製品が並んだ。使用されて磨耗しためっきの部分を一旦はがして再めっきした製品とのこと。新品同様の色とつや、磨かれた表面は鏡のようだ。「再めっきすることで、また製品として生き返る、これが技術です。」と中嶋常務。
「めっき槽を見ながら、めっきの現象が頭の中で描けるようになったときの面白さを、高校生や若い人たちに見せたいし、伝えたい。」「『今めっきが面白い』がわが社の合言葉です。」佐藤社長は、そう締めくくった。
力石化工株式会社
長野県埴科郡坂城町 9338-1 TEL:0268-82-3072
http://www.chikaraishi-kako.co.jp/