[サイプラススペシャル]120 木を極めて後世に残る家造り 道具は曲尺と墨壺と鑿と鉋と鋸と

長野県長野市

野村建設

長野市の野村建設株式会社は、創業明治40年、ビルや一般の住宅の建設も手がけるが、最も大事にそして得意としているのは、社寺仏閣の建築施工だ。「ものづくりの歴史は大工さん鍛冶屋さんから始まっています。大工さんは聖徳太子が朝鮮半島から連れてきたものづくりの集団です。」野村文孝社長(60才)は曲尺を傍らに1400年続く大工という職業の“心”と“技”を語る。

「木を極める」匠の集団

これが棟梁の技

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「これが、我社の職人の技です」。野村社長が手にしたのは長く薄い紙のような木片、カンナの削りくずだ。右手と左手、一見同じような削りくずだが、触ってみると感触が違う。片方は、所々に縮みが入ってまるで絹布のような感触、向こうが透けて見えそうだ。これをカンナで削り出したのは野村建設の職人だ。

社寺仏閣を手がける

「私の祖父は大工でした。」と野村社長。「平成に入って、一時は輸入住宅のフランチャイズを手がけたり、住宅の営繕部門を独立させて、効率化を考えた時期もありました」。しかし、質のいい仕事、昔から変わらない日本の家つくりをしたいと社寺仏閣の建設に積極的に取り組んだ。木を使う宮大工の仕事、社寺仏閣の建築が木造住宅の基本と考えたからだ。野村社長はそれを「元に戻した」と表現する。そこに必要なのは「木を極める技術」と技術を受け継ぎより良い家を提供し続ける職人、つまり"大工さん"だ。

大工さんを育てる

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「大工さんはプロのスポーツ選手と同じです。」野村社長は強調する。「25才までに身体を作れって言っています。まずは身体でノミやカンナの使い方を覚える。頭で考えるのはそれからです。そして35歳を過ぎたら棟梁として後輩の指導も含めて力を発揮してくれればいい。ベテランはバックアップにまわってもらいます。」

野村建設のもう一つの特徴は、ノムラウッドテック、大工部門を独立させた子会社だ。1週間5日勤務、1日8時間労働という勤務体系では木を極める「技」を受け継ぎ、身につけるのは難しい。ノムラウッドテックは、サラリーマンではない職人、野村社長のいう大工さんを育成し、大工さんが活躍できる組織である。その中で育ってきたのが、向こうが透けて見えるように木を削る技を持つ職人、そして30代の若手の棟梁だ。「35才を中心に棟梁を張れる大工さんが5人もいるんです。」野村社長は実に嬉しそうだ。

「棟梁」がいる建築現場

完成後は見えなくなってしまうが

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「棟梁」とは、建築現場の責任者のことだ。材料の扱いから作業手順やスケジュール、人の配置まですべてを仕切る役割は、分業化システム化した近頃の建築現場ではあまり聞かれない言葉かもしれない。

早速、長野市内のお寺で御影堂を建設している現場に足を運んだ。
着工は2010年3月、30代の若き棟梁が取り仕切る現場だ。隣には、江戸時代中期に建てられた本堂がある。一部には昔の部材が使われているが、主な材料はヒバ、ケヤキ、ヒノキ。大きな柱は一尺六寸、約50センチはある。堂々たる破風の曲線が美しい。外から見える梁の太さにまず目を奪われるが、屋根と天井の間には幾重にも重なった複雑な木組みの構造が見える。この木組みは建物が完成すれば誰の目に触れることもないが、曲尺を使って材木を測り、墨付け、刻み、そして組上げた、これぞ棟梁の仕事だ。

根気よくやること

広い階段脇のエレベータこそ現代風だが、廊下や彫刻が埋め込まれた長押、曲線を出した壁の造作など、まさに手作りの木造建築だ。加工された材木は、建物としての新たな役割=命を与えられた。銅葺きの屋根も、まだまぶしく光っているが、並び立つ本堂との違和感はない。

一番大変なのはどこですかとの問いに棟梁からは「根気良くやること。」という返事。
完成すれば200年300年残る建物、多くの人が頭を下げ、お参りに来るお寺である。完成まで1年2年3年と続く建築現場で、大勢の人をまとめ上げ、モチベーションを落さずに日々臨むことは「木を極める技術」と合わせて求められるもう一つの「棟梁の技」かもしれない。

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手で刻み、手で削り出す

出番を待つ木材

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一口に社寺仏閣といっても、本堂なのか、お庫裏なのか、お御堂なのか、また、新築か修復か、宗派の違いもあれば場所も様々だ。野村建設は、長野市を中心とした地域で、既に、屋根の葺き替えを含め20を超える社寺の建築や改修工事の実績を持つ。新築も15ヶ所ほどあるという。一般の住宅であれば2~3ヶ月で完成するが、先のお寺の例をとっても2年3年は当たり前のようにかかる仕事だ。会社としては日常的にそのような建築現場をいくつか平行して管理して仕事を進めている。郊外にある1400坪という広さのプレカット工場には、「○○寺」「△△寺」と行く先ごとに分けられ、積まれた木材が出番を待っていた。

「木1本が製品」

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ブルーシートの下には、直径30センチを超えるケヤキが何本も美しい木目を見せている。長さ20メートルはあろうかという角材もある。野村社長のいう「本つくり」の建物に欠かせない材料である。そして設計図の横には曲尺と墨。材木1本1本それぞれが完成品となって300年の命を持つ建物が造られる。


平面から立体へ

工場の2階の床の上には大量のベニヤが敷き詰められていた。この板の上で行われるのは屋根の曲線を決め破風を決める作業。そこで使われる道具は曲尺。設計士と大工さんで実物大の曲線を描き、大工さんはそこから材料の加工に入っていくのだという。ここで決まった曲線は大工さんが、手で刻み、手で削り出す。平面から立体へ、身体で覚えた「技」がここにもある。

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木造建築を残すという使命感をもって

材木を加工している作業の傍らで、野村社長は「大事にしたいのは"心"です。」と語る。 「本来、家は心身を休める所であり、身体の健康を回復させる場所。機能や利便性を求めすぎたり、娯楽の場所にしてはならないはず」と熱い思いを言葉に託す。

「3代にわたって住み続ける家、「木」という自然素材を使った家を提供できるのは大工さんなんです。しかも大工さんはお客さんの目の前で形を作り上げていくものづくり。プロ中のプロの仕事です。」野村社長の家作りへの使命感は尽きることがない。スケールの大きなものづくりがここにある。

【取材日:2011年4月25日】

企業データ

野村建設株式会社
長野県長野市桐原1丁目5-1 TEL:026-241-5533
http://www.nomuraco.net/