[サイプラススペシャル]09 安曇野に根付くソニー・スピリッツ Sonyだからスゴいんじゃない。「最先端かどうか」問い続ける姿勢がスゴいのだ。

長野県安曇野市

Sony EMCS 長野テック

安曇野市の特産はVAIOだった!

 安曇野市が長野・松本・諏訪・上田など県内主要都市を押さえて長野県「工業製品出荷額ナンバー1」であることをご存知だろうか。製品別の内訳ではパソコンが3300億円とダントツの1位で、その大半がソニーのパソコン、VAIOだ。つまり、「安曇野の特産はVAIO」と言っても過言ではない。(※長野県データ2005)
 VAIOは、ビジネスマン向け黒一色だったノートPCの世界に、洗練されたカラーリング、薄くて軽いボディなど、おしゃれ感覚を取り込み、世界的に大ヒットした商品だ。このVAIOの設計・製造から、世界への販売計画を担うのが、安曇野市のソニーイーエムシーエス長野テックだ。

ランキングでは分からない「超優良県内企業」の素顔

AIBOがお出迎え

 長野自動車道・豊科ICから約15分、北アルプスを望む、のどかな安曇野の田園地帯にソニーイーエムシーエス長野テックはあった。厳重なセキュリティの正門をくぐり、受付に入ると、犬型ロボットのAIBO(アイボ)が私たちを出迎え、尻尾をふりながら「コンニチハ」とあいさつしてくれた。

 「ロボットをペットに」という画期的な発想は話題を呼び、1999年の発売日、日本では3000体がわずか20分で完売した。AIBOは未来先取りのテクノロジーとして脚光を浴び、社会現象とまでなった。(2006年、惜しまれながら生産終了)

 ショールームに展示された最新のVAIOシリーズに目を奪われる。「やはり美しい」。実用的なツールでしかなかったノートPCにデザイン性を取り込んだVAIO、それが大ヒットの要因と考えていたが、今回の取材で驚くべき数々の「新発見」があった。

長野テックは隠れた「超優良県内企業」

 ソニーイーエムシーエス・長野テックは紛れもなく県内企業だが、本社が東京のため、県内の売上高ランキングに顔を出すことがない。知られざる「超優良県内企業」なのだ。

 ソニーイーエムシーエスはソニーの100%出資子会社で、日本各地に12か所の拠点・テックを持つ。長野テックは社員640人を含め、構内で働く従業員は2000人前後である。単体での売上額は公表されていないが、売上相当額5000億円以上の長野県内トップクラスの大企業である。

VAIOが生まれたのは「歴史の必然」だった

 世界49の国と地域へ送り出されているソニーの顔、VAIO。しかし、ソニーのパソコン市場への挑戦は、VAIOから始まったわけではない。商品開発は四半世紀も前から続けられており、その歴史は長野テックの歴史と重なる。

 長野テックの前身は1961年創業の東洋通信工業株式会社 豊科工場。1974年、長野東洋通信工業株式会社としてソニーの100%子会社となり、オーディオ関連製品の工場として成長する。
 最初の転機は1983年、MSXパソコン、SMC-777(パソコン)といったコンピューター部門への進出だ。86年には、エンジニアリングワークスステーション・NEWSを生産するようになる。つまり、長野テックは、「パーソナルコンピューター」の概念が生まれたのとほぼ同時にこの世界に入り、IT関連のソフトとハードの体力をつけていったのだ。

 1989年、ソニーデジタルプロダクツ株式会社に社名変更。
 システムコンポ・PIXY10万台達成などソニーのヒットオーディオ製品を手がけながら、手のひらコンピューターの開発などIT分野における果敢なチャレンジを展開した。

犬型ロボットAIBOは、人の言葉に反応し、様々なアクションをとる。愛嬌のある仕草はロボットではなく、ペットそのもの。工場見学に訪れる子どもたちにも大人気というのもうなずける。

色とりどり!VAIOのボディ。お気に入りの万年筆を選ぶように、PCも性能以上の個性を求められる。ノートPCといえば黒が主流だった時代に登場したVAIO505は、洗練された色、マグネシウムを主体とした質感、薄くて軽いボディで、人々に「持つ悦び」を提供して、世界的に大ヒットした。

溝口テックプレジデントは、井深大氏の意志を受け継ぐひとり。 SONYの社是にある「自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ実現」。応接室には、「自由豁達」の言葉が掲げられていた。FeliCa、AIBO、さらにVAIOと、ソニーらしい商品を生み出し続ける長野テック。井深イズムが安曇野に根付いているといえる

VAIOを生んだ長野テックの潜在能力とは

四半世紀前から続けられたソニー製PC開発

 そして1997年、最大のターニングポイントが訪れる。A4ファイル型ノートPC「VAIO」の生産開始。当初の販売台数は18万台。デビュー直後からユーザーに絶賛され、右肩上がりに販売台数が上昇した。

 2001年、ソニーイーエムシーエス株式会社 長野テックに社名変更。VAIOは世界のユーザーから支持され続け、2007年度ついに販売台数520万台を達成。
 「安曇野から世界へ」という同社のキャッチフレーズのとおり、世界49の国と地域へ日々VAIOが旅立っている。
 パーソナルコンピューターの創成期から、制御技術のノウハウを蓄積し、ソフト開発に注力していたからこそ、世界を代表するパソコンブランドを確立した長野テック。ソニーを代表するブランドVAIOが安曇野で生まれたのは、いわば「歴史の必然」だった。

「VAIOを開発したければ、長野テックへ!」

 長野テックの最大の特徴は、ここが単なる「製造工場」ではないことにある。VAIOの開発から設計まで、いわゆる「上流工程」を手がける部隊が常駐する。しかも、その数が半端ではない。社員のほぼ半数が開発設計部隊なのだ。なぜ日本のトップエンジニアたちが長野県の田園地帯に集結しているのだろうか。

 「VAIO開発希望の学生さんは、港区のソニー本社に入社しても実際に開発を担当できる可能性が低い。VAIOの設計開発なら安曇野の長野テックへ来てください、って言ってるんです」今井隆一人事総務部長は、笑顔で話を続けた。「安曇野はエンジニアにとって魅力的なロケーションなんです。美しい北アルプスが目の前にそびえ、冬になれば近くにスキー場がある。休日のショッピングも隣りの松本市まで足を伸ばせばできる。自然と文化のバランスが絶妙で、とても暮らしやすいところなんです」

 何より、世界レベルのVAIO開発に携われるというのが最大の魅力だ。社員は圧倒的に県外出身者が多く、30歳代前半で早々とマイホームを構えるエンジニアも多い。
 若きトップエンジニアをひきつけるのは「暮らしと仕事」双方の魅力だ。

実はAIBOも安曇野生まれ

 「受付にAIBOがいたでしょ。あのAIBOを開発製造していた頃は、新卒応募の倍率がすごかったんですよ」と担当者。VAIOの長野テックは、あのAIBOの生まれ故郷でもあったのだ。
長野テック生まれの技術は、VAIOとAIBOに留まらない。Suicaやエディなど電子マネーの根幹を支える非接触ICカード技術・FeliCa(フェリカ)も、小型二足歩行エンターテイメントロボットQRIO(キュリオ)も長野テック生まれである。世界にも数台しか存在しないQRIOは私たちに、坂本龍一さんのオリジナル曲を歌い、ダンスを披露してくれた。

 安曇野で開発される製品群は、長野テックが歴史的に制御技術やソフト開発に取り組んできたからこそ可能となった、最先端のテクノロジーの結晶である。

坂本龍一の曲に合わせて踊る、小型二足歩行ロボットQRIO(キュリオ)。ダンスの有機的な動きを生で見ると、彼がロボットであることを忘れてしまう。現在、開発は行っておらず、このような完全な形で残るのは、彼(彼女?)も含め世界に数台(数人?)しかない。

「これ、なんだと思いますか?」今井統括部長の持つ額。なんとRC-1というロボットが書いた文字である!商品化されなくとも、ロボットの制御技術は他の製品に生かされ、脈々とソニースピリッツが受け継がれるのだ。

VAIOの魅力は細部までのこだわり。バッテリーまでもデザインの一部としたのは画期的だった。どの部分を切り取っても、VAIOの個性が光る。


ヒット商品は、時代に迎合しない新しい発想から生まれる

世界を結び「知的製造」ができる体制

 「ウチの一番の強みは、VAIOの開発設計から製造販売までのすべてをコントロールしていることです」長野テックの代表・テックプレジデントの溝口幹氏は語る。VAIOグローバル・サプライチェーン・マネジメントセンターでは、全世界の製造と販売の情報を一元的に管理している。

 また、インターネットを使った「VAIOオーナーメイド」では、パーツやデザインなど60万通りの組合せの中から、ユーザーが自分好みのVAIOをカスタマイズして注文できる。その情報は安曇野のサーバーに入って製造部門に渡り、自分仕様のVAIOが直接ユーザーに送り届けられる。

 溝口氏はこうした仕組みを「知的製造ができる体制」と呼ぶ。
 「本社にも品質保証部があるんですが、VAIOについては、ここでやっています。開発から製造、品質保証、世界的な販売管理まで一括してやっているのが特徴です。ノート型PCの商品サイクルが非常に早いことも影響しています」
 短いサイクルの中で常に斬新なコンセプトを提示するVAIO。デビュー時は「持つ悦び」を満たすデザイン、そして世界最薄最軽量、カメラ搭載、通信機能の充実、世界初のLEDバックライトなどなど、VAIOが提示してくる新モデルは、いつの時代もマーケットを触発し続ける。

時代をリードする〝ものづくり〟を生んだ「井深イズム」

 「時代の流れがいくら速くても、時代をリードするフラッグシップ(旗艦)を作り続ける。それが、VAIOに息づくソニー・スピリッツです」ソニーの創業者、井深大氏から直接、薫陶を受けたテックプレジデントの溝口氏は、井深氏の言葉だと前置きして、こう語り始めた。

 「ソニーらしい商品は、作ろうと思って、作っちゃいけない。ここにいるみんなが常にアンテナ高く、情報を取って、その中で、自分がいちばん何をしたらいいのか。新しい情報を取りながら、その中で生まれたものがソニーらしい商品なのです。つまり、殻に閉じこもって仕事をしてはいけない。外に飛び出て、まず自分の目で世の中をよく見なさい。自分に必要なもの、世の中に必要なものは何か。よく考えて、担当しているものに反映させなさい。それを作ったとき、世界最先端であり、まわりのみんなが望むものになっている。要するに、いま自分がやってることが最先端なのかどうかをよく確認しながら仕事をしなさい、ということですね」

 VAIOが作った「世界最薄最軽量PC」の記録は未だに破られていない。これも長野テックのエンジニア一人ひとりが自分の受け持っている部品を0.01ミリでも薄く、より軽くしようと日々チャレンジしてきた結果だ。

ほかと同じでは「嫌だ」という感覚

 「日本でしか作れない最先端のものをここで作っているんだという自負があります。次に出す商品は他と同じでは嫌だ、長野テックでは全員がこの感覚で仕事をしています」与えられた仕事を受身でこなすのではなく、アグレッシブに仕掛ける。エンジニアにとっての技術的な理想や暮らしの夢をカタチにできる環境。だから、楽しみながら仕事をしている人が多いのだ。

 長野テックは、ソニーだからすごいのではない。
 創業者、井深大がソニーの理念として掲げた「自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場」をはぐくむ企業風土がすごいのだと思う。現代人が忘れかけている仕事への取り組み方、まさしく世界へ羽ばたく、ソニー・スピリッツが安曇野の地に根付いている。
 長野県から、優れた国際競争力を備えた企業スピリッツが発信されていることを、私たちはもっともっと誇りにしてもいいのではないだろうか。

AIBOやQRIOを開発した、生産技術開発部の今井透統括部長。彼を中心としたソニーのものづくり集団が、世に新しい商品を送り続ける。

特殊加工されたVAIOのボディ。こうしたデザインはもちろん、他とは違う「ソニーらしさ」はシステムを含めた細部に宿る。

VAIOもオーダーメイド化が進む。色やスペックだけでなく、キーボードのデザインや細かな仕様、付属品を選べるのもVAIOユーザーの持つ悦びを刺激する。


【取材日:2008年8月27日】

企業データ

ソニーイーエムシーエス株式会社 長野テック
長野県安曇野市豊科5432 TEL.0263-72-2920
http://www.sonyemcs.co.jp/