[サイプラススペシャル]70 水のある豊かな生活を提供する 不凍栓メーカーから水の総合企業へ

長野県長野市

竹村製作所

 蛇口をひねると、1年中水を飲むことが出来、使うことが出来る、水道は豊かな暮らしの象徴である。しかし、北国の寒い冬の朝、前夜水道の不凍栓を閉め忘れたために、食事の支度や洗顔に苦労したという経験を持つ人も多いのではないだろうか。どんなに寒い冬の朝でも、不凍栓をあければ、水道を使用できるという安心感、当然といえば当然の「恵」を、60年にわたって提供し続けている不凍栓専門メーカー、それが長野市小島に本社を置く竹村製作所である。

竹村製作所といえば「不凍栓」、だが

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 竹村製作所の主力製品は不凍栓である。「不凍栓」をインターネットで検索すると、必ず上位に「竹村式不凍栓」が表示され、検索キーワードとしても分類されている。しかし、竹村國彦社長は、「不凍栓製造を60年やってきました。この不凍栓、原理はひとつなのです。同じことをやってきたんですね。でも、これからは、違うことをやらなければ。余力があるうちに、新しいことをやらなければと考えています。」と語る。

 竹村製作所の歴史は、昭和22年に始まる。創業は、竹村國彦社長の父、竹村敏男氏である。敏男氏は、長野工業学校(現在の長野工業高校)を卒業し、浜松のヤマハ(日本楽器製造株式会社)へ就職、戦争中は台湾で航空機整備の業務につき長野市に復員した。終戦後の復興期、機械の修理を中心とした町の便利屋として「諸機械製作修理」の看板を掲げ、仕事を始めたという。そこへ持ち込まれたのが、「水道が凍って困る」という相談である。

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 日本の近代水道の歴史は1987年(明治20年)、横浜で始まる。その2年後には、寒冷地である北海道の函館にも水道が引かれた。しかし、西欧から導入された水道の技術には、生活文化の違いからか、凍結防止に関するものはなく、日本は独自に凍結防止の技術を開発しなければならなかった。函館でも、凍結防止の試みが行われたと記録に残っており、その後も、寒冷地では凍結防止のために、水道管を保温する、水抜栓を設置する、水を貯留するなど、さまざまな工夫や改良がされたというが、水道の本格的な普及があってこその不凍栓の需要であり、終戦直後の昭和20年代前半では、不凍栓専門メーカーは日本中どこにもなかったのである。

1枚のスケッチ

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 1枚のスケッチが残っている。「竹村式不凍栓」の誕生の絵だ。

 「水道が凍って困る」という相談が持ち込まれた頃、水道の凍結防止策として地下にバルブを2つつける方式が多く採用されていた。まず本管とつながっている元のバルブを閉め、水を止める。その後、もうひとつのバルブを開けて、立ち上がりの管にたまっている水を抜く、というやり方である。しかし、水道の原理を考え、バルブを閉める開けるという順番を間違えないように操作する手順は、冬の間だけとはいっても、台所を預かる主婦には、煩雑で不便極まりない。また、いったん凍結してしまえばそれでお手上げである。「水道が凍って困る」という声は、次第に大きくなっていったに違いない。
 このスケッチは、そのときのものだ。ここにはバルブは1つしかない。1回のバルブ操作で本体の内部にある2つの弁を動かすことが出来れば、水が抜けるのではないか、その発想を描きとめた敏男氏の鉛筆の跡だ。
 スケッチを図面におこす。そして試作品をつくる。この試作品が完成した時の感動は「外から見ると1個のバルブなのに、魔法のように水が抜けた」という言葉で伝えられている。1949年(昭和24年)のことである。
 水道の普及とともに、竹村式不凍栓も普及していく。

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 「原理はひとつ」といっても、簡易水道から上水道への変化、衛生面への配慮、設置の容易さ、修理作業の簡便さなど、さまざまな観点から改良が加えられていく。地域による「凍結深度」の違いも、性能を左右するポイントだ。確実に水を抜くために耐寒カランも考案した。製品としては水抜栓や止水栓、また、水道メーター着脱装置も開発し、量産してきた。
 最近では、不凍栓そのものが、住宅設備として機能だけではなく、エクステリアの一部としての機能やデザインへの対応も必要な時代になってきて、製品の種類も増えている。販売拠点は東北や北海道を中心に全国11箇所、製品の納入先は、北陸・山陰・山陽・九州にも、拡大している。不凍栓専門メーカー竹村製作所は、日本全国の寒冷地の水道の発展を支えてきたのだ。

製品に責任を持つ一貫製造

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 竹村製作所の製品は、すべて自社生産である。本社から車で30分ほどの飯綱町芋川には、広さ6万平方メートルの敷地を持つ工場群、アクアゾーンがある。鋳物工場、機械工場、浄水工場がおかれ、グリーンで統一された建物の壁面は、周囲の景観にマッチしている。外観はもちろん、人や環境に十分配慮した最新設備は、働きやすい職場を作りたいという竹村社長の思いが反映されたものだ。
 特に平成8年完成の鋳物工場は、集塵装置・排気装置が十分に稼動し、鋳物特有のにおいや埃っぽさがない快適な職場だ。鋳造に使われる中子(なかご)と呼ばれる型まで、自社生産という徹底ぶりだ。不凍栓の部品を作る青銅合金は電気炉で溶かしており、材料の温度は1200℃にもなる。3人一組の作業で、天井から下がった「とりべ」を軽々操作し、規則正しく型の中に溶けた金属液を注いでいく。隣の加工工場では、工作ロボットや外国製の加工機が導入されていて、製造工程のほとんどがコンピューター管理で自動化しており、工場内に人の姿はまばらである。
 アクアゾーンで生産加工された部品を組み立て、出荷するのが、本社工場だ。組み立てた不凍栓1本1本を丁寧に検査する姿に、製品を通してお客様に豊かな生活を提供するという竹村のものづくりの基本姿勢を感じる。

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水の総合企業 竹村製作所

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 「不凍栓の竹村」は、もうひとつ、ろ過装置を中心とした様々な浄水装置のメーカーとしての顔を持っている。水環境装置部門をもち、プール循環ろ過装置、浴場循環ろ過装置、雨水利用ろ過システム、噴水装置などの製造販売をしている。顧客のニーズに応える装置の開発から、設計・販売メンテナンスと一貫したサービスも行う。  「わが社は安全で衛生的な水を作る、"造水"の企業。水の総合企業を目指していかなければ」竹村社長は、変革の時を強調する。「シェアは100%を取ったら、自分しかなくなり、それは負けたと同じこと。50~60%のトップシェアを取り、残りの部分で互いに磨かなければ。」
 「生き残って行くために、ものも変えたい、人も変えたい。周辺の環境は大きく変わってきている。これまでは北を向いていたが、西の方にも広く出て行きたい。」
 南西に舵をとる、不凍栓専門メーカーから水の総合企業へ、竹村製作所の挑戦が始まっている。

【取材日:2010年3月24日】

企業データ

株式会社竹村製作所
長野県長野市小島127 TEL:026-251-0211
http://www.takemura-ss.com/