[サイプラススペシャル]71 「商業」と一体化した家具づくり 時代にあわせて“モノ”も進化

長野県松本市

ミツルヤ製作所

創業1900年の“100年企業”
これからのキーワードは「環境」「オーダーメイド」

 木製家具製造のミツルヤ製作所の主力商品は、いわゆる「公共もの」だ。学校や福祉施設など公共施設への備え付け家具が売り上げの8割を占める。  明治10(1900)年、生糸の糸車づくりから始まったミツルヤ。終戦後にはステンレスの流し台を生産するなど、時代を支える“モノ”をつくり続けてきた。  糸車から流し台、そして家具へ。100年続く原動力はどこにあるのか?そして、これからどんな“モノ”をつくろうとしているのか?

時代とともに変化するものづくり

現場は「職人技」と「最新機械」が融合

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 高い天井、日の光が差し込む明るい工場内に木の香りが立ち込める作業場。職人たちが、かんなで家具の最終仕上げをしている。
 松本市笹賀の大久保工場公園団地。部品工場や食品工場に交じり、ひときわ目を引く建物が、ミツルヤ製作所の本社工場だ。

 工場の最大の特徴は、職人技とコンピューター制御の機械が融合している点だ。設計データを機械に入力すると、大型の製造装置が寸法どおり自動的に木材を切り出していく。
  「8割が公共のもの」と小林一茂会長が言うように、ミツルヤの主力は、地元の学校、保育園、病院、福祉施設など向けの木製家具。1点ずつ仕様が異なる製品が多いため、大量生産には向かない。そこで生まれたのが、最新の機械と職人技の融合だった。

据え付け家具は「逃げ道」だった

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 「あたらしい市場をつくっても、あとから必ず大企業が出てくる。中小企業の宿命なんです。」小林会長は笑う。
 1900年創業のミツルヤ製作所は、製糸業に欠かせない「糸車」からのスタートだった。「木材と金属を組み合わせてつくる糸車は、非常に精巧な技術が求められる」と、小林会長。製糸業が衰退すると、終戦後は木材と金属を使った技術力を生かしたステンレス流し台の取り付け販売で業績を伸ばした。「基礎的な技術は変わらない。時代に合う形に変えるだけ。」

 「業界に先駆けたステンレス流し台はヒットしました。しかし、すぐに大手が参入してくる。こちらは手作り。向こうは大量生産。価格競争では勝てるわけがない。」小林会長は当時を振り返る。「大企業が攻めてきたら『逃げ道』を考える。そこで同じ家具でも注文家具、つくり据えの家具の分野に入って行った。」
 自社の強みを生かしたニッチ(すき間)市場開拓こそ、100年続くミツルヤの原動力となっている。

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環境配慮で新たな市場開拓

きっかけは「花博」のベンチ

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 主力の公共事業が先細りの中、次の「逃げ道」は環境だ。

 やわらかな曲線、木の質感。ミツルヤ製作所のロビーにおかれた木製ベンチに座ると、ゆるやかなカーブが背中にフィットし心地よい。1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会(花博)」のメイン会場で採用された逸品だ。
 「花博から20年。屋外で風雨にさらされた木のベンチは、どうしたって痛む。10年、20年もつ素材を開発したい」と取り組んだのが、食品トレーなどから100%リサイクルの新素材家具だった。

 リサイクルポリエチレン樹脂は「これまで屋外用フェンスや門扉で使っていたリサイクル素材。なんとか家具に使えないか」と研究。約2年をかけて2009年に商品化に成功した。

家具メーカーこだわりの「リサイクル新素材」

 「使いよくて、美しいものをつくりたい。」小林会長は続ける。「価値あるもの、いいものを長く使ってもらいたい。これがお客様の満足に繋がる。」

 リサイクル新素材には、家具メーカーとしてのこだわりが随所にちりばめられている。たとえば、表面の木目模様。木の持つ雰囲気を再現しているだけでなく、木材と同じように切断や接着などの加工ができる。コストも木材とほぼ同じ。水や紫外線にも強く、屋外での長期使用が可能だ。
 「保育園の下駄箱や、公園のベンチ、花壇の木箱など使用の範囲は広がる」と、小林会長も自信の品。廃棄する時も、丸ごと粉砕し再び素材としてリサイクルできる。

商業と工業を一体化したものづくりへ

オーダー家具で新規顧客を獲得せよ

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 環境配慮とならぶもう一つの挑戦が、オーダー家具だ。
 「ものづくりは、お客様にできるだけ近づいてかなければならない。これからは『工業』と『商業』をひとつととらえた商品が必要」と、小林会長。オーダー家具には、これまでの公共事業で培った技術を、一般顧客向けへ応用したいという、ミツルヤのしたたかな戦略が隠されている。

 しかし、同じ家具とは言え、公共向けと一般顧客では「つくり方」も「売り方」も全く違う。どのように新たな市場をつくろうとしているのだろうか?

ミツルヤ家具センターから+VITA(プラスヴィータ)へ

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 オーダー家具の新市場の前に、ミツルヤのもう一つの顔、家具センターをご紹介しよう。

 「ミツルヤ家具センターが3時をお伝えします。」
 SBCラジオのコマーシャルでもおなじみ、ミツルヤが松本市野溝木工団地に家具センターを創設したのは1972年。家具センターは名前の通り、一般顧客向け家具を取り扱う販売店で、当然、公共向けが中心の同社の製品は扱ってはいなかった。
 2008年、歴史ある販売店も新たな挑戦に合わせ大幅改装し、名前も「+VITA(プラスヴィータ)」に改めた。

新店舗に隠された秘密

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 新店舗の戦略は、高級路線。落ち着いた雰囲気の店内には、洒落た欧州ブランド家具などが並ぶ。
 「新店舗はお客様のとの接点の場」と、小林会長。
 ここに置かれた一台のノートパソコンこそ、ミツルヤの挑戦の象徴だ。パソコン画面には、3次元立体画像で家具が出現。オーダー家具の注文を増やすために独自にパソコンソフトを開発した。「自分たちでつくったものを『売る仕組』をつくりました。お客様が欲しいというモノを、注文を受けてからつくる。」
 公共施設の据え付け家具の発想を、オーダー高級家具というニッチ市場に応用した。

工場と一体になったシステム

 「空間全体を提案します」というスタッフの言葉通り、パソコン上では、形、大きさ、色調まで顧客の好みに合わせた部屋全体のイメージがつくられ、家具の完成図を分かりやすく提示する。と、ここまでは正直、大したことはない。

 システムの真骨頂はここからだ。
 まず、パソコンでのイメージがそのままデータ化され、顧客がイメージした家具の設計図がその場で出来上がる。さらに、本社工場の最新機械に設計データを持ち込めば、木材が自動で切断され、職人の技によって1品モノとして製造される。まさに商業と工業を一体化したものづくりの姿だ。
 さらに同様の仕組みをインターネットでも展開し、ネット上での注文家具の製造販売にも力を注ぐ。「環境と合わせ、新しい事業の柱へ」と期待も大きい。

次の100年へ引き継がれるDNA

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 100年前に生糸の糸車を生産していた「三鶴屋」から「枝葉は変わったが、根っこは変わらない」と小林会長は笑う。
 「お客様がほしいと思うモノをつくっていくのであって、作り手の勝手を押し付けてはいけない。」リサイクル素材も、オーダー家具も、新しい販売店づくりも「多様化する顧客ニーズにこたえた」という自負がにじむ。

 「時代は変わる。ニーズも変わる。これからも顧客に近いところで大手にはできないものづくりを武器にしたい。」信州松本に根ざしたものづくり企業のDNAは、新しい世代に引き継がれていく。

【取材日:2010年3月30日】

企業データ

株式会社ミツルヤ製作所
長野県松本市笹賀5652-33 TEL:0263-25-8333
http://www.mituruya.co.jp/