vol.63 | 「マイチップの時代」…アンビエント・エレクトロニクス | 長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長 若林信一 |
新蕎麦(そば)の季節になった。近頃、私の職場でも「蕎麦打ち」を楽しむ人が増えてきた。中には自ら栽培し、石臼で挽くという本格的な方もいる。言うまでもないが、「蕎麦」は、大型機械よりも石臼挽きの方が高温にならず香り高い。そして、敏感で壊れやすい生地の機嫌を掌に感じながら作る「手打ち」に勝るものはないだろう。
蕎麦に限らず、長きにわたって伝承されてきた食や技は、その地の風土や人々のDNAと相性がよい。水質や気候の影響を受けやすい「豆腐」は、豆が育った土地の水で摩砕して搾った豆乳に、「にがり」を加えて手作りしたものは香り深く、実に美味いものができる。また、絹や綿などの自然素材は、やさしく健康にも良いといわれるが、きっと人間の肌を飽きさせないのだろう。しかし残念なことに、繭から糸を紡いで着物を作るまでの「技」は消え失せ、あらかじめ世界的に決められた流行に乗ってやってくる「お仕着せ」のモノとなった。
実は、半導体技術も大企業によって高度な大量生産のシステムが確立し、独占する海外企業から届くようになってしまった。ナノメータレベルの微細な加工技術と大口径ウエハーの開発によって、高性能チップが大量供給され、多機能で安いパソコンや携帯が送り込まれてくる。そして科学技術の進歩は、「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」という「ユビキタス社会」へと誘い、生活様式まで同化させていくように思われる。
しかし、不思議なことに、人間のための科学技術なのだから画一化せず、もっと個人のために役立てたいという動きも出てくるものだ。
いま、人が情報にアクセスしていくというこれまでのベクトルとは逆に、生活環境の中に置かれたコンピュータの方から、そのひと個人にアクセスを試み、必要な情報を提供したり、病気や危険を回避するよう導くようなシステムの研究が始まっている。技術的にはこれを「アンビエント(Ambient)・エレクトロニクス」と呼ぶそうだが、近未来の情報機器や家電はもとより、流通や医療等の産業にも大きく寄与することが期待されている。
極言すれば一人ひとりの「マイチップ」が登場するのだ。そして、現在の半導体ビジネスとは正反対の「多品種少量生産」のビジネスモデルへと転換する可能性をも秘めている。
かつて80年代後半、イタリア北部の小さな町で始まった「スローフード(Slow Food)」運動は、バブル後の日本にも波及し、「スローライフ(Slow Life)」や「ロハス(LOHAS)」という動きへと進展してきた。
それは、高度成長がもたらした画一化した「大量生産・大量消費」の気ぜわしい都市型生活から、地域と伝統に根ざした豊かで個性的なライフスタイルを取り戻そうという価値観の転換でもあったと思う。
今だから、此処だから、貴方だから...、「マイチップ」がもたらす未来が、地域や人にやさしい人間重視の社会であってほしい。 ちなみに、私の好きな蕎麦は、「信州飯綱産」の二八、水は湧き水、もちろん「手打ち」だ。
※アンビエント・エレクトロニクス=「生活空間のあらゆる場所に電子機器が存在し、必用なときに電子機器が使えるようになる環境」と定義されている。
長野県テクノ財団ナノテク・材料活用支援センター長
1949年長野県生れ 新光電気工業㈱にて取締役開発統括部長、韓国新光マイクロエレクトロニクス社長などを歴任。2009年5月から現職。
http://www.tech.or.jp/