[サイプラススペシャル]27 「食卓の酒」として、「世界の酒」として MASUMIの世界戦略に込めた「集中と選択」

長野県諏訪市

宮坂醸造

MASUMIの世界戦略に込めた「集中と選択」
「食卓の酒」として、「世界の酒」として

 江戸時代から350年、信州諏訪の地で酒造りを続ける宮坂醸造。「極め付きの美酒をつくりたい!」蔵人たちのほとばしる熱意が生む天下の銘酒・真澄は、今や海外にも多くのファンを持つ、信州を代表するブランドだ。
 かたくななまでに美酒を追求する姿勢はまさに「ものづくり」そのもの。この30年間に3分の1にまで消費が落ち込んだ日本酒市場で、長野県を代表する老舗は、どのようにして活路を見出そうとしているのだろうか。

こだわりの美酒にこめられた「ものづくり」への想い

逆風の日本酒業界

 国道20号線、旧甲州街道を上諏訪駅から車で南下すること5分、諏訪2丁目から元町にかけての数百メートルの間に、舞姫・麗人・本金・横笛・真澄と、5つの造り酒屋が軒を連ねる。江戸から平成まで人々の往来を眺めつつ、日本の文化「清酒」を造り続けている酒蔵たちだ。
 長野県諏訪地域は、寒冷な気候、豊かな水などを背景に、江戸時代から酒造りが栄えた地域だ。

 しかし今、日本酒の消費量は30年前の約3分の1に落ち込み、国内のメーカーはピーク時の半分の2000軒に減ってしまったと言う。

 「『国酒』と言われた日本酒ですが、たいへん厳しい状況です」、真澄の蔵元・宮坂醸造の宮坂直孝社長は語る。ワインや焼酎人気のあおりを受けたり、若者の好みが変化したりしている影響で、日本酒は今も少しずつシェアを落とし続けている。

マーケティングでなく「ものをつくっていく」会社

 苦境の日本酒。
 宮坂醸造が苦境打開のカギとしているのは「品質」だ。「なにより〝質の高さ〟を一番に考えたいと思っています」。社是ともいえるこの基本方針は、宮坂醸造の歴史の中から生まれたものだ。

 寛文2年から3世紀半、諏訪の地で酒造りを続けてきた宮坂醸造だが「昔から隆々と栄えていたわけではないんです」と、宮坂社長。「江戸の末期から明治にかけては規模も小さく、経営も不安定な『貧乏酒屋』だったんです」。

 「何とか生き残らなきゃならない」と、懸命の努力をしたのが宮坂社長の祖父である先々代社長と蔵人たちだった。「とにもかくにも、いい酒をつくろう」という熱い思いで全国の酒蔵を訪ね歩いて技を学び、磨き上げていった。

 「真澄は、これからも『マーケティングの会社』ではなく『ものをつくっていく』会社なんです」、宮坂社長のこの言葉は、「品質」を追求してきた歴史に裏打ちされたものだ。

米を選び…地酒は地米で

 「類まれな美酒」づくりの極意とはなんだろうか?
 「まずは、どんな原料を選ぶか、です」。宮坂社長は即答した。真澄に使われる米は「美山錦」や「ひとごこち」など90パーセント以上が長野県産だ。「地酒といわれる重要なポイントは、やはり、地米を中心につかっていることだと思うんです」。

 経営者としての手腕が問われるのは、「杜氏や現場が望む以上の良質米を仕入れられるかどうか」だという。優れた酒米は手に入りにくく、「札束を持っていけば、ポンと渡してくれるものではない」とのこと。「経営者が苦労して買ってくる、この心意気が製造スタッフにも伝わるんです」と、宮坂社長。「米が悪いから良い酒ができない、なんて言い訳はできませんからね」。

海外にも多くのファンを抱える天下の銘酒・真澄は、宮坂醸造で造られる。

宮坂直孝社長。宮坂醸造は2007年に味噌食料品製造業と酒造業部門を分社化。酒類事業を統括していた直孝氏が酒類事業会社の社長に就任した。

宮坂醸造の酒造りは多くが手作業。

「造る」だけではダメ。トータルで価値を提供する。

酒造りは高度な手仕事

 えんじに白抜きされた真澄ののれんをくぐると、見事に枝を伸ばす松。その奥に酒蔵がある。大正の風情を今に伝える木造の建物。1階には醸造タンクがならび、上の階では米を蒸し、こうじ造りや酵母造りが行われている。

 凍てつく冬の諏訪。朝日が差し込む作業場に、真っ白な湯気が立ち込める。白い帽子に半そで姿の蔵人たちが、蒸した米を手際よく、ならしていく。一つひとつの工程を厳しい眼差しで見つめているのが杜氏(とうじ)、酒造りの〝総監督〟だ。
 まじめに、ていねいに、手をかけて。「ものづくり」に取り組む男たちは、指先に神経を集中する。

こだわりや情熱を一緒に伝える販売手法

 宮坂醸造のめざす〝酒造り〟は、「製造工程」にとどまらない。

 「数年前までは『いい酒を造る』ことしか念頭になかったのですが」宮坂社長は続けた。「造る、だけじゃなく、造ったお酒をどうお届けするか、ということがとても大切だと気づいたんです」。

 「私たちは一生懸命いいお酒を造っている。でも、お客様に召し上がっていただくまでには、多くの方々が介在しているんです」。宮坂社長は、『真澄の価値』は原料や作りかただけではなく、出荷、販売、サービスを含む全体で構成されるものだと考える。だからこそ「『真澄』のこだわりや情熱を一緒になって伝えてくれる酒販店さんに販売してもらいたい」。

日本酒を「世界酒」に…想いのうらに

 宮坂醸造は1990年代から海外での販売に本格的に取り組んでおり、現在では欧米や香港など20数か国に及ぶ。「日本酒を『世界酒』にしたいんです」と、宮坂社長。「世界的に日本食ブームなんです。味覚に秀でた日本人が造った酒が、世界に広がらないわけがないでしょ」と、自信を示す。

 宮坂醸造の日本酒の売上高はおよそ20億円。海外販売はその数パーセントに過ぎないが、真澄にとって『世界』は重要な意味を持つ。真澄という「日本的価値」の提供だからだ。

造り酒屋としての伝統は、たたずまいからも感じられる。

新しいビルの中でなく、大正からの建造物の中で今も美酒が造られている。

蔵人たちの作業(上)と、全ての工程を管理する杜氏(下)


真澄は「日本的価値」を提供する

海外から訪れる酒蔵研修生たち

 神々が宿る酒造りの現場。蔵人たちに混じり、慣れない手つきの男性の姿があった。真剣に作業に打ち込む彼は、ニューヨークのレストランマネージャーだという。「良い意味で熱狂的。わざわざ自費で海外からやって来て、そして海外で真澄を売ってくれるんです」。
 ワインのソムリエがそうであるように、欧米のレストランなどでは、備えた酒について熟知した上、客の好みに合わせて提供しなければならない。真澄にはこの冬、こうした海外のレストランスタッフが何人も酒蔵研修に訪れた。

 「こだわりを理解しようとしてくれる方々、共感してくれる方々と手を携えたいんです」。「真澄という価値」を提供するために必要な、流通と販売。海外への進出で得られたノウハウは、市場が縮小する国内でも大きな意味を持つ。

意外!?「選択と集中」の戦略

 海外事業を拡大している宮坂醸造だが、その戦略の根幹にあるのは意外にも「選択と集中」だ。
 20か国以上に及ぶ海外とは対照的に、国内では取引先を限定。関東・中京圏を中心とした限られたエリアでの販売にとどめているのだ。
 「営業マンは社長の代理です。取り扱ってくれる方たちとすぐに会える地域に絞っているからこそ、深いコミュニケーションができるんです」。

苦境打開のカギは文化の提案

 「日本の製造業と同じで、良い物を造るだけでなく、それがどういう風に造られて、どういう風に使われるかまで提案できないといけないと思うんです」。宮坂醸造が、いま力を入れているのが、「地域と文化」に対する取り組みだ。

 上諏訪街道の5軒の造り酒屋が協力して「飲みあるき」イベントを定期的に開催。「かつて酒蔵は町の文化の発信基地であり、情報交換の場だった」ことから、「酒蔵をもう一度、地域の拠点にしてみたい」と、宮坂社長は夢を広ける。
酒蔵の一部を改造して作られたショップ「セラ真澄」では、日本酒をより楽しむための酒器や酒肴を販売している。最近では新ブランド「マスミ+」を立ち上げ、異業種とのコラボレーションで商品開発するなど、新たな魅力の発信に努めている。

 「レストランも大事ですが、本当は『家飲み』をしてもらいたいんです」と、宮坂社長。食卓にみんなが集まる、日本酒を楽しむ家庭がある、「そこまで提案しないといけないと思います」と社長は笑顔を見せる。

「文化としての日本酒」、良いものをつくるだけでなく、食文化の再生や創造を考える。真澄の思いは、「長野県のものづくり」にとっても苦境打開のカギになる可能性を秘めている。

美酒を届けるためには、徹底した品質管理も欠かせない。

「真澄」の一つひとつに、造り手、売り手の想いがこもっているのだ。

酒蔵に作られたショップ「セラ真澄」新たな魅力を発信し続ける。


【取材日:2009年2月17日】

企業データ

宮坂醸造株式会社
長野県諏訪市元町1-16 TEL:0266-52-6161
http://www.masumi.co.jp/