[コラム]ものづくりの視点

vol.81「Galapagos syndrome」(ガラパゴス症候群)
財団法人長野県テクノ財団 事務局長
林 宏行

 「日本は極め過ぎている。求める水準がハイレベルであるうえ、売った後のアフターサービスも只事ではない。中小企業が多いイタリアの人びとは、そんな日本のマーケットについてゆく必要はないと考えてしまっているのかもしれない...。」
 マッキンゼー・ミラノの筆頭弁護士、アルベルト氏(Alberto M.Fornari)は、「Galapagos syndrome」(ガラパゴス症候群)とも揶揄される今の日本のビジネスモデルや行政府の役割について、言葉を選びながら語り始めた。

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 「もっとも、多くの人は遠い日本の現実を知らないし、特異な文化の国だとイメージしているのかもしれない。でも、ある意味では、イタリアも特殊な国の一つ。個人的な人間関係がビジネスをドライブしていくイタリアだからこそ、深いパートナーシップの関係も築けるかもしれない。こうして握手した後に互いに気づくこともあるだろう。」
 欧米のビジネスシーンで企業をサポートしてきたアルベルト氏の言葉は興味深いものがあった。

 さて、ミッション終盤を迎えたフランス東部の都市「ブザンソン」。早朝から案内されたビジネスインキュベータ(創業支援施設)には、行政府の資金援助を受けて幾つものプロジェクトが動いていた。電気自動車の減速ギアを開発しているという三人の若者はまだ大学生であったが、ビジネスにかける意気込みを語ってくれた。
 助成金を受けて開発したり製作したプロトタイプは、売っても許されるのか?」彼からに向かって、エンジニアリング・システム㈱代表取締役の柳沢真澄さんが質問を始めた。  学生らの横に立っていたインキュベータ所長のブランディーヌ(Blandine)さんは、なぜそのようなことを訊くのかが分からないといった表情を浮かべていたが、幾たびか説明を加えながら質問を繰り返すと、程なく、「もちろんOK」だと応えた。
 人に受け入れられ、社会生活に役に立ってこそ「モノづくり」意義があるのに、日本の行政府の支援策の多くが、「プロトタイプ」を売ることを認めていない。試作段階までの開発支援はするが、販売は自己責任としているからだ。

 今回のDTF欧州販路開拓ミッションには、ビジネスを支援する学や官との情報交換も組み込まれており、いくつもの産学官連携の姿を見ることができた。
 医療機器、義歯や補聴器などの専門家と出会ったヨーテボリ(スウェーデン)には大学病院と連携する企業の姿があったし、スイス連邦工科大学ローザンヌ校には、教員や学生の半数以上が外国籍、107カ国以上からトップレベルの研究者たちが集まってくる。  また、2009年に「念じると動く車いす」を発表したミラノ工科大学には、新幹線車両も造れそうな大きなラボラトリーや精密工作機械の研究室が並び、運営費の6割もが民間企業からの研究費で賄われていた。

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 そしてブザンソンは、国境を越えてスイスとも産学官連携を進めているうえ、フェムト科学技術研究所やスタティス研究開発センターなどでは、研究開発のみならず製造やビジネスサポートまでも行うという、日本では類を見ない「産学官」の姿があった。
各国が官民一体で技術開発に取組み、強力な売り込みをする大競争の時代にある。
 Galapagos syndrome(ガラパゴス症候群)...そこから「進化」しなければならないのは、企業の「ビジネスモデル」だけではないように思う。

【掲載日:2011年4月13日】

林 宏行

財団法人長野県テクノ財団 事務局長

1963年下伊那郡喬木村生まれ。長野県商工部振興課、総務部地方課、市町村TL(課長)、下伊那地方事務所地域政策課長などを経て、2010年4月から現職。

http://www.tech.or.jp/

vol.80「鉄の国」のプレゼン
財団法人長野県テクノ財団 事務局長
林 宏行

(DTF研究会欧州販路開拓ミッション北欧編より)

 1月31日月曜日午前8時半、ホテルを出たバスは、まだ街灯が点る朝の道を郊外の雪の丘へとのぼり煉瓦色の建物の前で停まった。深夜に到着したこともあるが、頭の中はまだ長い一日が続いている感じだった。
 実は今回のミッションの企画段階で、これまで友好を深めてきたスイス、イタリア方面の航路に、北欧の街が加えられたのは、相手方からのオファーがあったからだった。
 プレゼンは、会社や製品をPRするよい機会であるが、まずは思いや技術を正確に伝え合うことが重要だ。その際、専門用語の通訳は欠かせないし、映像や現物があれば会話も弾む。DTF研究会のプレゼンは、それぞれ工夫が施されていたが、佐藤吉宗さんの巧みな表現にはずいぶん救われたようだった。また、西山泰登(にしやまやすと)さん(㈱西山精密板金代表取締役)が持参した銀色に輝くギターの模型も、DTFの技術水準をアピールするのにはたいへん効果的であった。

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 ヨーテポリ大学の医学部に併設されているこの建物には、ホールやランチルームも備えられていた。吹き抜けの二階、大きな窓に面したフロアにテーブルが並べられ、ここで、ランチミーティングとなった。
 「この国の高福祉や社会保障は、高い労働生産性や国際競争力の結実がもたらす"強い経済"と税制による再配分が大前提にあるんです...。」佐藤吉宗さんは、北欧の海の幸だという分厚い鱈のソテーを解(ほぐ)しながら、福祉国家の一面を話してくれた。
 「ノーベル賞の聖地」でもあるこの国には、世界中の最先端技術や製品に関する情報が自然に集まってくるともいわれるが、佐藤吉宗さんによれば、それは単なる「新しモノ好き」の国民性というより、長い歴史の中で、海外諸国の大学、企業を含めた「産学官連携」を重要視してきた成果でもあるのだという。※

 その佐藤さんが、霙(みぞれ)立つヨーテボリの街で案内してくれたのが、ベアリングや工作機械の世界的大手「SKF」だった。オフィスビルのすぐ裏には、川を挟んで古い煉瓦の建物が並び、昔は製糸工場であったという広い構内では、様々な用途のベアリングが造られていた。
 「鉄は、生きています。時代や技術が変わっても、鉄の本質は変わりません。製造機械は22~25℃に保ったままです。また、最近は、化学薬品の使用を抑えて水と超音波で洗浄するなど環境にも配慮しています。」厳格で律義そうなマネージャーの解説を、佐藤さんが淀みなく訳していく。
 社員教育には熱心だ。海外工場の従業員であっても本社まで呼んで、品質の基礎から製造まで徹底的に教育して国へ帰すし、金融危機の最中には、たとえ製造部門は停まっても、教育だけは続けたという。
 「危機を実感出来るときこそ、世界競争で勝つための技術や経営が身に着く。危機克服後に、更に強くなれるチャンスだからです。」マネージャーは声を強めた。

 ところで、日本が年号を昭和に変えた1926年、この巨大な工場の一角で、小さな社内ベンチャーが1台のプロトタイプを完成させる。それが、この国を代表する自動車会社「Volvo」へと進化を遂げることになるのだが、その名が、SKFのベアリングの商標であり、ラテン語で「私は廻る」を意味する言葉だったということを、ここに来るまで私は知らなかった。

 さて、ショールームには、鏡のように磨かれた鉄の球やベアリングが並べられ、奥の真っ白な壁には、ほぼ水平に取り付けられた金属の厚い円盤がいくつも見える。そのピカピカに輝く円盤の意味を尋ねようとした瞬間、パチンコほどの鉄球が一粒、また一粒と天井の穴から降ってきて、円盤から円盤へとリズムよく跳ねながら曲を奏で出した。左右に往ったり来たりした鉄球は、重力に沿って徐徐に緩やかになり、隅に用意された小さな穴へと行儀よく吸い込まれていった。これは通訳など要らない、その精度を誇る「鉄の国」の粋なプレゼンであった。

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※佐藤吉宗さんの著書「スウェーデン・パラドックス」(日本経済新聞出版社)は、産業経済のみならず、税制や地方分権に対する市民意識についても触れられており、行政関係者にもお勧めしたい。


【掲載日:2011年4月 8日】

林 宏行

財団法人長野県テクノ財団 事務局長
1963年下伊那郡喬木村生まれ。長野県商工部振興課、総務部地方課、市町村TL(課長)、下伊那地方事務所地域政策課長などを経て、2010年4月から現職。
http://www.tech.or.jp/

vol.79何か儲かる商売はありませんかね・・・
山岸國耿

商機は成長分野の周辺にあり

 以前、仕事で企業を訪問した際、「何か儲かる商売はありませんかね」とよく質問されました。先日もある東信地区の電機会社の社長さんから、「新商品を出しても、すぐに他社と競合し商品のライフサイクルが終わってしまう。従業員を多数抱えて大変ですよ。いい仕事がありませんか」とのお話がありました。
 企業では、競争が激化し収益性が益々低下する成熟した事業分野(ドメイン)から撤退し、時代の変化に合わせた新しい成長分野に進出することが課題となっています。これらの動きを産業全体でとらえますと、「産業構造の転換」とか、「産業の新陳代謝」と言っています。よく「企業経営は、変化への対応」と言われていますが、個々の企業にとって、収益性のある新しい分野に不断に挑戦していくことは、大変重要なことといえましょう。

 振り返って、県内で成長した産業の状況をみますと、
 例えば、戦後大きく伸びた産業に自動車産業があります。しかし、県内には自動車そのものを生産する工場はありませんが、その部品を生産する企業が多数あり大きく規模を伸ばしました。ガソリンスタンドも最近では撤退も多くみられますが、一時期多数立地し、大きく伸びました。加えて、自動車の販売店、修理工場、車検などの検査工場、自動車の廃棄物処理業者などと、長野県では、自動車の製造そのものよりも、その周辺の業種が大きく伸び主力産業となりました。

 また住宅産業も大きく伸びた一つです。住宅を建築する大工さんや左官屋、住宅建築会社のみでなく、材木店、建材店、植木屋、家具屋、住宅解体業者、そして住宅産業が伸びればそれにつれて伸びるといわれる本屋や墓石店等、住宅産業の成長とともに周辺の業種も伸び、大きな裾野を持った一大産業を形成しました。

 このように、必ずしも自動車や住宅そのものを造るのではなくても、中核となる成長産業の周辺の分野、すなわち 成長分野の製品の販売やその製品の部品の製造、その製品の検査や試験、その製品の材料、その製品の修理、その製品の廃棄物の処理、その製品の製造機械の開発等、周辺に新しい成長分野があります。

 例えば、圧力計器のメーカが「測る」というコンセプトのもとに、自動車のエンジンのセンサや医療機器等の成長分野に進出したり、製造機器を造る企業が自動車部品製造用の専用機を開発したりと、従来から保持している固有技術を活用して、その時代時代の成長分野にタイムリーに進出し成功している事例が多数見られます。すなわち、「成長産業に乗る」と言いましょうか。

 これからの成長分野として、エネルギー・環境、医療、航空・宇宙、新素材、情報等がよくあげられています。さらに加えて、アジアなど成長する地域への進出もビジネスチャンスの一つとなってきています。

 しかし、新しい成長分野といっても当然簡単に見つかるものでもなく、慎重な検討が必要です。進出には大変大きなリスクを伴いますので、企業として重大な岐路に立つことでもあります。

 それぞれの企業では、自社の持つ技術と市場とを的確に把握しつつ、その発展方向を見定め、厳しい競争に勝ち抜く組織づくりを進めるなどして、商機を逸することのない決断と行動が必要といえましょう。

【掲載日:2011年3月22日】

山岸國耿


昭和19年上田市生まれ。38年間長野県職員として長野県商工部関係機関に勤務。長野県工業試験場長を最後に定年退職。その後財団法人長野県テクノ財団に勤務、専務理事を平成22年3月末に退任、平成22年7月に国の地域活性化伝道師に就任。